松沢呉一のビバノン・ライフ

日本における夫婦交換の始まり—摂津茂和の小説に見る夫婦交換-[ビバノン循環湯 245] (松沢呉一) -3,789文字-

「メトロポリタン美術館の所蔵作品をなんとしても利用する」シリーズです。スワッピングの図版はひとつもなかったので(当たり前)、あくまでイメージってことで。この原稿は十年ほど前に「スナイパー」の連載に出したものですが、掲載時、後半はカットしているかも。

 

 

 

摂津茂和の小説「夫婦交換」

 

vivanon_sentence夫婦交換なるものが一般に広く知られるようになったのは1970年代前半のことです。スワッピング雑誌の老舗「ホームトーク」が創刊され、これを契機に一般のメディアでも頻繁にとりあげられるようになります。

当然、雑誌が出る前から実践していた人たちがいたのだろうと想像できるのですが、それより古いものでは、夫婦交換という話はあまり見かけません。勘違いで交換してしまった事故とか、夫婦と独身男性、独身女性が同衾するといった変則的なものはありますし、海外の話としてはあるんですけどね。

が見たもっとも古いもので、日本人の夫婦が恒常的に交換しあっている内容を意味して「夫婦交換」という言葉を使用しているのは、昭和28年発行「」臨時増刊「風流読本」第二集に掲載されている摂津茂和(せっつ・もわ)「夫婦交換」という小説かもしれません。

主人公の小説家がパリに遊学している時のこと。同じ時期にウィーンに来ていた竹馬の友である牧を訪ねます。牧は日本の医大を主席で卒業したあと、ウィーンの医大に留学していた天才肌の男です。

ここで紹介されたのが、やはり天才的な才能がある清原という男です。彼は指揮者を目指してウィーンに留学し、牧と同居しています。この清原はダンディで、オペラ座の美人歌手とつきあっています。

ところが、主人公は牧とこの歌手も親密すぎることに気づきます。主人公が牧を問いただすと、なんと彼も彼女を共有していると言うではないですか。

主人公は呆気にとられるのですが、牧は日本に帰ってもこういう関係を続けたいと言います。主人公は天才たちの考えることが理解できずにパリに戻ってきます。

Jean-Baptiste Marie Pierre「The Death of Harmonia

 

 

シーズンごとの夫婦交換

 

vivanon_sentenceやがて帰国して結婚。牧と清原もまた帰国しますが、主人公は忙しくて彼らに会う暇がなく、ウィーンで会って6年後、清原が指揮をとるコンサートがあることを知って出かけます。ここには牧も来ていて、牧や清原の奥さん方も紹介されます。

 

 

next_vivanon

(残り 2871文字/全文: 3906文字)

ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。

ウェブマガジンのご案内

会員の方は、ログインしてください。

« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ