松沢呉一のビバノン・ライフ

日本のセックス表現が暴力的に見えるわけ—オランダに学ぶ 2-[ビバノン循環湯 264] (松沢呉一) -4,222文字-

オランダに学ぶ 1」に書いたSMバー取材時に聞いた話の続きです。

 

 

 

なぜ家庭でSMをしないのか

 

vivanon_sentenceオランダのテレビクルーが撮影をした際、沼正三のような物書きを別にすると、おそらく日本でもっとも有名なM男さんであるガッちゃんがたまたま「ルビー」に来ていて、頼み込んでインタビューにも出てもらいました。今までSMに使ったお金は二億円というものすごい人です(※その時点の数字。今はもっと増えていましょう)。

立派な会社にいた人ですから、顔がバレたらまずいんですけど、もう定年退職したことだし、オランダにはなみなみならぬ思い入れがあるため、出てくれることとになりました。この人がSMにのめり込んでいくきっかけのひとつは、日本に来ていたオランダ人女性との出会いにあったのです。ガッちゃんもオランダまで行ってSMをやってますしね。

レポーターは、ガッちゃんに話を聞いて、「どうしてSMを家庭でやらず、店でやるのか」と不思議がってました。彼らが日本で抱いた最大の疑問はここにあります。

私はざっとこんな説明をしました。

「今の時代もこの国は本音と建前を使い分けるため、建前で生きることのストレスを抱えやすく、そのストレスの発散の場がない。欧米のようにカウンセリングを受けるなんてこともないため、女は占いに、男は風俗産業に行く」

その場の思いつきですが、そうは間違っていないと思います。

それでもなお「どうしてストレス発散を夫婦で行わないのか」と聞いてきます。社会生活をすることによるストレスを発散するのが夫婦ではないのかと。

私はざっとこう説明。

「血縁・地縁が壊れたくせに、個人主義は浸透せず、建前も崩れず、家族や夫婦という単位は社会の建前、世間の視線と対抗し、それを壊す場として機能しているのではなく、むしろ社会的秩序を実践し、補完する意味合いが強くて、妻も夫も望ましい家庭の妻と夫であることを監視し合う関係なので、夫婦揃って欲望を晒し合うなんてことは考えられない。したがって欧米に比べると、スワッピング文化はなかなか根づかない」

個人、家庭、社会をきれいに峻別しているのではなくて、それらが渾然一体となってしまっているのが日本です。その結果、スワッピングはおろか、夫婦の性は今なお生殖の性に留まり、個人が求めるべき快楽の性は家庭外で実践する。恋愛やセックスも社会秩序に従属するための道具です。そこから逃れるには金を出す。性のユートピアは家庭にあるのでなく、店にあるのです。

その点、個人主義が徹底したオランダでは、売春OK、マリファナOK、同性の結婚OK、スワッピングOK。やるもやらないも個人が決めればいい。個人と個人がつながったに過ぎない家庭でも、その実践がなされる。家庭は社会の規範と対抗する場として機能している側面があるのだろうと想像します。

よって日本のようにSMは産業化する余地がなく、個人の集まりである家庭内でなされたり、やはり個人の集まりであるサークルという形で実践されます。それが当たり前の社会にいる彼らは、普通のサラリーマンが家庭では隠し、SMバーに来て、縛られ、ムチを打たれる姿に大変興味をもったよう。

Utagawa Yoshitora「Oranda Dutch Couple」

※そういえば、IKEAのCMでこういうのがありました。ヨーロッパではあり得ても、日本でこんな夫婦はリアリティがない。ヨーロッパもいろいろですけど。

 

 

 

援交の意味

 

vivanon_sentence彼らによると、イタリアでも日本に近い構造が見られ、夫婦や恋人の関係で女は母を求められる。母を求められることを若い世代の女たちが拒否していて、男たちが動揺しているそうで、これと日本の援助交際が通底していると彼らは見ていました。

 

 

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