圓生の落語と女の「おれ」—女言葉の一世紀 28-(松沢呉一) -3,198文字-
「「-ぜ」を否定する人たちはアイドルを聴いて反省せよ!—女言葉の一世紀 27」の続きです。
落語に見る女言葉
長屋のおかみさんたちの言葉を知るには落語を調べればいい。と思いつつも調べるのが難しい。江戸時代なり明治時代なりの言葉そのままに現在も落語家が演じているとは限らない。
演じられたものを文字起こしした、古い時代の速記本であればその時代の言葉遣いはわかりますが、本文検索できない国会図書館では全部読まなきゃいけない。本文検索できたところで、具体的な言葉を探すのは難しいですしね。「おれ」を検索したら、男が使っている「おれ」が大量にひっかかってきますので。
また、速記本では「おめえ」が「お前」になっていたりします。「おめえ」とルビがついているものもありますが、ルビがないと、江戸訛りが正確にはわからない。
それよりなにより問題は、落語を文字で読んでもあんまり面白くないってことです。
いくつか読んだだけで、そのままになっていたのですが、新潮文庫の担当編集者である岑(みね)さんはマニアと言っていいくらいに落語が好きでありまして、こう教えてくれました。
「古典落語では女が“おれ”と言っているものがあります。女が“おれ”と言っているのは不自然に聞こえるというので“わたし”に直している人もいますけど、古典落語を忠実にやるタイプの人は“おれ”と言ってますよ」
というので、YouTubeで落語を時々聴いてました。落語って「ながら」で聴いても面白くない。ストーリーを追うだけでなく、細かなニュアンスが面白いので。しかも、この場合は「おれ」が目的です。Facebookを見ながらでは聞き逃します。
音声だけでなく、表情もわかる動画の方がよりよくて、正座して聴くことになります。
しかし、落語は長いものが多い。ものによっては一時間以上。その長さを実感させないのですけど、時間を作らないと聴けない。「あー、面白かった」と満足しても、気づけば女は一人も出てこない。
「鰍沢」の「おれ」
ちょっとずつ聴いてもなかなか女の「おれ」が出てこないので、先日岑さんに会った際に、「見つからない」と言ったら、演目を教えてくれました。
「圓生の『鰍沢(かじかざわ)』を聴くと出てきますよ」
これです。
怖いわ、これ。
ホントによく出来た話です。岑さんが推奨するだけあって、「女の言葉遣い」という点でも、非常に面白い。
旅人が雪の中で道に迷い、やっと見つけた一軒の家。「泊めてくれ」と頼むと、出てきたのは一人の粋な女である。夫は膏薬売りで、外出中。
家に入れてもらって、お熊というその女を見ると、喉に傷痕がある。美しいだけに、これはまた奇なるもんと眺めていたら、その女に見覚えがあった。
遠慮がちに聞いてみると、やはりそうであった。女は吉原の花魁であり、旅人は一度だけ客になったことがあるのだ。
旅人は再び花魁に会いたいと思っていたが、果たすことができないまま、情死したと聞いた。
女はいまさら隠すこともあるまいと、客と情死しようとしながら二人とも死なず、ともにここまで逃げてきたこと、そして喉の傷はその時のものであることを教えてくれた。
花魁言葉と下町言葉
ここまでは「迷った山の中で、会いたかった花魁に会えた。自分もこのまま凍え死ぬかというところで命拾いをしたのと同様、死んだはずの相手も生きていた」という奇遇話。二人ともあの世に半分足を踏み入れた上で生きています。
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