松沢呉一のビバノン・ライフ

話が苦手なナンバーワン—記憶から消えてくれない風俗嬢 1-[ビバノン循環湯 286] (松沢呉一) -4,907文字-

風俗ライターをやめて10年以上になりますが、今でもたまに当時出会った風俗嬢のことを思い出すことがあります。「記憶から消えてくれない風俗嬢」なんてタイトルをつけると、よっぽどの深い関係があって、波乱のドラマもあったのだろうと思えますが、そうとは限らない。会った回数が多かったり、店以外でのつきあいがあったり、頻繁に電話やメールのやりとりをしていた風俗嬢たちの中にも思い出すのは当然いるのですが、そうではないのに、くっきりと記憶に残るのがいるのです。

そもそも私は思い出に浸る癖がないので、思い出すこと自体さほどないのですが、「ビバノンライフ」のために古い原稿を読み直すことが増えていて、おそらくその影響で、数日前も、当時つきあいのあった風俗嬢の夢を見ました。本人が出てきたのではなく、古い写真を見ていたら、彼女が道に面したスナックのような店の前で満面の笑顔でこちらに手を振っている写真が出てきて、「彼女は今どうしているんだろう」と懐かしく思う夢でした。現実には、彼女はそんな店で働いてませんでしたし、一度として私は彼女のそんな笑顔を見たことがありませんでしたが、現実にもそのまんま、彼女のことを思い出すことがあります。

聞けば教えてくれたと思いますが、私は彼女のアドレスも電話番号も知りませんでした。他に好きな風俗嬢はつねにいたのに、何がどうして彼女のことが気になるのか、以下を読むとわかるかもしれない。でも、なんにもわからんかもしれない。私自身、なぜそうも思い出してしまうのか、よくはわかりません。

彼女のことは簡単にはまとめてあったのですが、3年ほど前にメルマガ読者限定のevernote用に原稿の形にしたものです。

読み直して思ったのだけれど、性風俗を否定しないではいられない人たちだと、彼女の話を聞いて、「これほど性風俗の仕事は人を孤独にし、精神を病むのだ」とまとめそう。彼女はなんの仕事をしていても、ああだと思うぞ。あるいは、「哀れな女」に欲情するタイプのライターでも、彼女の派手な見た目と、抑揚のない話し方や表情の乏しさのギャップになにかしら物語を見いだしてしまうのかも。それに引き換え、私はただ淡々と書くまで。つうか、そういうタイプの人たちは、彼女のようなギャルタイプにあんまり興味を抱かないと思うけれど。

今回はおもに米議会図書館の収蔵品を使用しています。写真の収蔵点数が多いのですが、メトロポリタン美術館と違って、パブリックドメインの表示がなく、使用は「自己責任で」と説明されています。収蔵品をそのまま出していて、図書館側では撮影者が誰か改めて調べていないようです。寄贈者の名前は出ているのですが、撮影者がわからないものが多い。写真の場合は調べたところで撮影者がわからないものも多いでしょう。絵のように作品に特性がはっきり出るものは少なく、署名がなされていることも少なく、カメラを買った無名の人が撮っているものも多い。そのため、著作権が切れているのかどうか確認できない。第二次世界大戦前はおそらくすべての国で写真の保護期間は公表されたところからの起算で、もし法改正されて以降の公表だとしても、当初写真の保護期間は死後30年だったため、撮影が1920年代であればほぼ著作権は切れてましょう。

 

 

 

 誰もが存在を知る風俗嬢

 

vivanon_sentence彼女はよく知られていた存在のため、わかる人にはわかってしまおうが、客には言っていないことまで出ているかと思うので、店での名前も伏せる。

彼女は毎月どこかの雑誌に必ずと言っていいほど出ていた。店の広告では、彼女がメイン。風俗誌の名鑑はもちろん、風俗誌の表紙、一般誌のグラビアにも登場。メディアに登場した回数で言えば、90年代末から2000年代にかけてもっとも売れていた風俗嬢の一人と言っていいだろう。そのくらい顔も体も抜きん出ていて、私自身、会う前から、彼女のことは雑誌で見て、「きれいなコだなあ」と思っていた。

しかも、見た目は派手なギャル。私の好みである。

店のプロモーションを請け負う会社があり、そこからもらった宣材の中に彼女の写真があり、私はその写真を仕事机に貼付けていた。そのくらい彼女は気になる存在であった。

雑誌の体験取材で店と交渉している時に、たまたま奥に彼女がいるのが見えた。店のスタッフは「彼女は体験ものは無理です」と言っていたのだが、「交渉します」ということになり、連絡をしてくれることに。

しかし、結局、この時は連絡をもらえなかった。気の強い女のコに交渉をするのが苦手なスタッフがいて、交渉する前にうやむやになることはよくある。あれだけ人気のあるコの機嫌を損ねるのが怖かったのかもしれない。

※「Dancer, 1927

 

 

話すのが苦手

 

vivanon_sentence宣伝担当のスタッフが代わってから、改めて交渉したところ、あっさりOKが出た。

会った時に彼女はこう言っていた。

「あの時、私は出てもいいって言ったんだよ。スタッフがバカでごめんね」

こういう話し方。初対面でもタメである。渋谷系ギャルなので、そこはイメージ通りだが、彼女は雑誌に出ている印象とまったく違っていた。現実の彼女も見た目はギャルだが、無口でおとなしい。それでも、取材ということもあって、その時はずいぶん話をしてくれたと思うが、ふだんはほとんど話さないという。

「会話が嫌いなわけではないんだけど、苦手なんだ。だから、無口なお客さんだと、こっちもどうしていいのかわからなくて、ずっと黙っている」

冗談で言っているのかと思ったのだが、本当にそうらしい。

彼女が無口であることがわかれば、沈黙が続いてもいいのだと気づけるだろうが、多くの客は「自分といても楽しくないのだろう」、あるいは「不機嫌なのかな」と思ってしまう。

これもまた雑誌に出ている彼女、あるいは実際に会った時の見た目と大きく違っていて、生活も極端に地味だ。

「住んでいるのも渋谷だから、渋谷から外に出ない。だから、他の街のことはよく知らない。池袋とか新宿とか全然知らない。渋谷のこともそんなには知らない」

「遊びに行ったりしないんだ」

「しない。美容院に行ってネイルに行って買い物をして、それで終り。全部渋谷だよ」

外を出歩くわけでもないのに、髪の毛や爪はいつも手入れを怠らない。そういう部分で幻惑されてしまうが、

Alfred Stieglitz「Katherine Dudley」 これのみメトロポリタン美術館収蔵

 

 

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