松沢呉一のビバノン・ライフ

丸木砂土が紹介する鞭打つ女—エヂト・カディジェック-[ビバノン循環湯 272] (松沢呉一) -3,117文字-

これも「スナイパー」の連載。雑誌に相応しい内容です。

 

 

 

秦豊吉と丸木砂土

 

vivanon_sentence戦争に負けて日本中が打ちひしがれている時、「額縁ショー」を考案してこの国に明るい話題を与えた秦豊吉という人物がいます。劇場を多数経営していた東宝のお偉いさんです。

三菱商事の社員としてドイツに長期滞在した時期があって、戦前からゲーテやレマルクなどドイツ文学の翻訳を手掛け、戦後も執筆を続け、著書も多数あります。

もうひとつの名前が丸木砂土です。江戸川乱歩、益田喜頓と並ぶベタなペンネームです。

東宝に関わることついては秦豊吉という本名で書いていること、エロと無関係のものは秦豊吉の担当であることまではっきりしているのですが、秦豊吉の名でもエロを手がけ、丸木砂土の名でも翻訳を手がけているので、どう両者を使い分けていたのか、書いているものを見てもはっきりしません。

そのペンネームに相応しくマルキ・ド・サドやザッヘル・マゾッホのことを戦前から紹介してはいますが、丸木砂土の名前でもそういうものばかり書いていたわけでもない。

とくに戦後はどちらの名でも軽いお色気エッセイを雑誌に書いているのを見かけ、「額縁ショー」の考案者であり、東宝のお偉いさんとして秦豊吉の名前が知られるようにもなったためもあって、「SM方面の人」という印象は私にはあまりありません。

※丸木砂土著『風変りな人々』(昭和6年)で、サドもマゾッホも取り上げています。しかし、サドについては章タイトルが「侯爵サアド」となっており、本文でも「サアド」です。Sadeは「サード」という読みでもおかしくないですけど、「砂土」は「さあど」と読ませるつもりだったのでありましょうか。どこかでこれについて書いているかもしれないですが、読んだ記憶がない。

 

 

鞭打つ女

 

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しかし、SMへの興味はやはり強かったのか、「特集読物」昭和23年7月号を読んでいたら、「鞭打つ女」というエッセイを書いてました。

この「特集読物」はなかなか手に入らず、私もこの一冊しか所有してません。というのも、編集長が吉行淳之介だったため、欲しがる人が多いのです。

東大の学生時代に新太陽社でアルバイトをしていた吉行淳之介は、卒業後、そのまま同社に就職して、「アンサー」という雑誌を任されます。その雑誌を改題したのがこの「特集読物」です。この時代の雑誌としてはとても丁寧に編集されているのは、さすが吉行淳之介というところでしょうか。

丸木砂土の「鞭打つ女」は、タイトル通り、実在したらしき鞭マニアの話です。この記事で初めて知ったのですが、すごい人がいたもんだと感嘆します。

1880年、イタリアに生まれたエヂト・カディジェックは、幼い頃から母親に強い愛情を抱き、対して父親や姉妹に対しては憎悪を抱いてました。母親に対する愛情はすでにエロティックなもので、子ども同士の遊びでも、彼女はいつも母親役、教師役、医者役をやって、友だちの体をまさぐったり、ぶったりしていたと言います。

しかし、九歳の時に母親が亡くなり、尼僧の学校に入ります。言うことをきかない彼女はいつも先生に尻をぶたれていました。自分の尻をぶたれるのも好きだったのですが、友だちがぶたれているところを見るのがもっと好きで、わざわざぶたれているところを覗きに行ったり、友だちをそそのかしては悪いことをやって、一緒にぶたれながら、友だちが尻をぶたれているところを見て興奮していました。

頭がよく、特に語学が得意だったため、二十歳をすぎると、フランスの僧院で教師となり、ここで遂に鞭を使って、生徒の尻を叩くことができました。さらには、ここで四十代の尼僧と同性愛の関係になり、彼女の尻も叩いてあげます。また、彼女にクンニさせながら、少女の尻を鞭打つプレイまでやっています。僧院でそんなことまで。

 

 

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