SMという言葉が定着するまでのワード—アブチック・悦虐・責・耽奇-[ビバノン循環湯 271] (松沢呉一) -3,080文字-
「スナイパー」の連載に書いたものです。この回はSM雑誌らしい内容となっております。
「裏窓」の別冊「耽奇小説」
昭和20年代末からSMという言葉は一部マニアのものとして雑誌の投稿欄で使用されてはいましたが、同時にMS、SMF(サド・マゾ・フェチ)という言葉があって、SMという言葉はまだ安定せず、広く知られてもいませんでした。
では、SMという言葉が確立されるまで、投稿欄ではないところではどういう言葉が使用されていたのかと言えば、「サディズムとマゾヒズム」あるいは「加虐と被虐」です。「サドとマゾ」と略しても使いにくい場合があります。
昭和20年代から「奇譚クラブ」に、数年遅れて「裏窓」といった雑誌に続々とSM的小説が掲載されるようになっていく頃、統一的な言い方は存在せず、「アブチック小説」「責小説」「悦虐小説」「サド小説」「マゾ小説」「猟奇小説」といった形容がそれぞれになされていました。
また、SMの範疇に限定されたものではなく、もっと幅が広いのですが、「裏窓」では「耽奇小説」という言い方をしていて、「耽奇小説」というタイトルの別シリーズも出しています(のちに独立して定期刊行の雑誌になっていますが、たぶん全部で十号も出ていないと思われます)。
「耽奇小説」に出ている小説も幅が広いのではありますが、「耽奇」という言葉は、わかる人にはわかるキーワードだったわけです。
※この号は私は所有してません。画像はまんだらけから借りました。
北林透馬の耽綺派作品集『レスビアンの娼婦』
「耽奇」という言葉はカストリ時代の雑誌のタイトルにもなっていますが、これを「変態」「SM」的なものとして最初に使用したのは、北林透馬著『レスビアンの娼婦』(あまとりあ社・昭和30年)かもしれません(※「昭和20年代に実在したレズビアン喫茶」でも説明したように、この時代は「レズビアン」ではなく、「レスビアン」としているものがよくある。語源のレスポスからするとレスビアンで、英語だとレズビアン)。
この本のタイトルには「耽綺派中篇集」という言葉がつけられているのです。「奇」が「綺」という文字になってますが、「耽綺派」という流派があるかのような扱いです。
これは、すぐにそれとわかる言葉がない中、キャッチーなフレーズが必要だと考えて出版社がつけたのでしょう。版元のあまとりあ社は、「裏窓」の版元である久保書店の系列ですから、後に「裏窓」でも、この言葉を使用したのだと推測できます。
著者の北林透馬は、戦前から小説や戯曲を手掛けていた横浜在住の作家です。戦前何冊かの作品集を出していて、戦後も各種雑誌で名前を見ますが、たぶん戦後出た単独の作品集としては、この『レスビアンの娼婦』という新書一冊だけだと思います。
この作品集でも、小説の舞台はすべて横浜です。本人としては文学の意識がありそうですが、設定の奇抜さが先行して書き上げた感があって、今読むと、そんなに面白くもないし、刺激的でもない。
五本の小説が収録されていて、表題作は、米兵の愛人をやっている女がバイで、その恋人は女という話。
「やっぱり男がいい」は、女のアメリカ人たちにオモチャにされたゲイが主人公(ゲイボーイの時代の「ゲイ」ですから、今とイコールではないですが、近似の用法です)。
「私は恋人を殺した」は、強姦した男とその被害者との間に生じた悲劇的愛情の話。
「混血娼婦リザの生涯」は母親の浮気によって生まれた混血児が、血のつながっていない父親とセックスをして妊娠、その後は結婚しておとなしくしていたが、やがては母親譲りの娼婦性が目覚めて破滅していくという話。
「私は恋人を殺した」と「混血娼婦リザの生涯」は、いずれも首を締められてエクスタシーを得る女が登場するのですけど、わかりやすくSMなのは、もう一本の「しのび逢い」です。メロドラマ風タイトルです。
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