セックスワークに関する翻訳の問題—「赤線」と「体を売る」-[ビバノン循環湯 284] (松沢呉一) -4,193文字-
「体を売る」「女を買う」という表現については、「西村伊作の売春肯定論—「体を売る」「女を買う」の違和感 1」、「フェミニストたちはミソジニー表現だと指摘—「体を売る」「女を買う」の違和感 2」、「言葉から見える道徳—「体を売る」「女を売る」の違和感 3」で論じました。さっさか書いてさっさか更新し、「はい、次」と日々暮らしているので、何かきっかけがない限り、振り返ることがあんまりないのですが、さっき読み直して「いいこと書いているなあ」と自分で惚れ惚れしました。元ネタになっている西村伊作の文章や「Feminist Manifesto in Support of Sex Workers’ Rights」が素晴らしいのであって、ここでの私はそれらを解説しているだけですけど、読んでない方は読んでおいた方がいいと思います。
言葉にこだわるって大事です。その中でも書いているように、「体を売る」「女を買う」という言葉については前世紀から私はこだわってます。かれこれ20年近く。これについてはこれ以上書くこともないのですが、『セックス・フォー・セール』を出した際に、翻訳におけるこの言葉の問題点を指摘した文章を見つけました。完全に忘れてました。
当時から、本を出す前後には、多数の文章をネットに出して宣伝をするということをやっていて、『セックス・フォー・セール』でも大量に文章を公開しています。単行本1冊分くらい書いた効果で10冊くらいは売れたかも。内容はここまで出したものと重複していますが、国外でも国内でもこの言葉に対する疑義が同じく提出されているのに、翻訳の段階で無効にされてしまっているケースが大いにありそうなので、ここに再録をして、翻訳者、編集者、校正者に正しい訳を心がけることをお願いしておきます。前半の「赤線」より、後半が大事。
red lightと赤線
「監修」という役割は幅が広くて、ただ著名な人の名前を冠してセールスにつなげたいだけの監修もありますが、『セックス・フォー・セール』では言葉のチェックもやっています。
翻訳本を読んでいると、「赤線」という言葉が出てくることがあります。赤線は公娼制度廃止以降から売防法の施行まで短期間この国にあったものであり、翻訳本で出てくるのは引っかかりがあります。
『セックス・フォー・セール』のゲラにも「赤線」という表現があったため、原文を確かめたら、red lights districtでした。英語ではだいたいred lights district、red lights zoneなど、red lightsが使用され、red light、red lightsだけで、その意味になることがあります。
これらの言葉は、辞書によっては「赤線」と出ていて、だから翻訳本で、この言葉を使用したものがよくあるのもやむを得ないのですが、赤線は日本固有で、しかも時期を限定して存在していたものですから、海外の政府のことを「幕府」とか「朝廷」と呼ぶのがおかしいように、翻訳に「赤線」を使用するのは不自然さがあります。
「紅灯(紅燈)地区」「紅灯街」としてもいいでしょうが、「紅灯」という言葉は今現在あまり使われないので、『セックス・フォー・セール』では、わかりやすく「売春地区」としました。
なお、売春宿が赤い照明を使用するのは世界共通のようです。日本ではチョンの間でよく使用されています。外だけではなく、中でも赤い照明が使われていることがあります。ヘルスやソープでも一部店内に赤い照明を使用している店があります。
赤い照明にはシワが目立たない効果があるためとも言われますし、赤い照明は注意を促す照明に使用されるように、遠くからも目立ちます。濃淡がなくなって、本を読んだりするのには適さず、通常の照明ではまず使用されないため、「売春してますよ」とアピールするには都合がいいのだと思われます。
※読んでないですが、T・ジェファーソン・パーカー著『レッド・ライト』(原題‘RED LIGHT’)は売春エリアを舞台にした小説のよう
「女を買う」「体を買う」という表現の問題
続いてもうひとつ言葉の問題。こっちが大事。
前々からこだわっていることですが、「女を買う」「体を売る」といった表現があります。『売る売らないはワタシが決める』でハスラー・アキラや私が強調しているように、この言葉はセックスワークの実相を正確に表しておらず、誤解を生じさせます。
今の時代にこの言葉を使う人もいます。おもに年配者です。若い頃に使い慣れた言葉はなかなか捨てられないものです。老人の昔話では赤線の女給に対しても「女郎」って言ったりしますしね。今現在のソープ嬢やホテトル嬢にこの言葉を使用する人は極稀でしょう。
そういう世代との接点があると、若い世代でも「女を買う」「体を売る」を使用することがありますし、若い世代のセックスワーカーでも使う人がいます。「体を売るようなところまで堕ちた私」と自分を卑下することに酔うようなタイプが多いかと思います。
そういった意味合いを見いだして、愛着をもって個人の用法として使用するのは容認できるとして、誤解を広げる言葉であることは意識しておいて欲しいものです。
この言葉を好むもうひとつの層が売買春否定派です。自己の経験に基づく愛着、郷愁ではなくて、まさに誤解を生じさせるためにこういうフレーズを使用します。「売春は体を売ることだ。人身売買に等しい。だからいけない」というように、正確な事実認識をもたずに売買春に反対していることを表明していると言ってもいいでしょう。
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