松沢呉一のビバノン・ライフ

野田聖子衆議院議員の言葉を聞くべし—日本の女性議員率 4-(松沢呉一) -2,807文字-

自民党と公明党の女性議員率の低さ—日本の女性議員率 3」の続きです。

 

 

 

野田聖子衆議院議員の的確な呼びかけ

 

vivanon_sentenceここまで見てきたように「有権者は女性候補者に投票しないので、女性議員率が低い」という見方は間違い。今回の東京都議会議員選挙を見る限り、その傾向は見られず、むしろ女性候補に有利でした。今回特有の事情があるので、つねにそうだとは言えないまでも。

また、「政党が男の候補者を優先し、女の候補者を冷遇しているから、女性議員が少ない」という見方もほぼ間違い。むしろこういう見方こそが、事の本質を見失わせ、女性議員を増やすことを妨害しているのだと私は見ています。

現実には、男女問わず、「政治家になりたい人」を集めると、男が10人手を挙げるのに、女は1人か2人しか手を挙げず、それがそのまま議員数に反映されていると見た方がいい。

このことをよくわかっていると思われる議員もいます。「性別で判断する人たちの限界—「女子」の用法 11」では、おもに言葉遣いの側面について見ていますが、ここで引用した記事内で野田聖子議員が的確なことを言っています。

 

野田氏は「政治は『男の仕事』じゃない。様々な個性が寄り集まって国民の声を代弁する仕事。そのためにも女性にどんどん出てきてほしいし、自分が出ないなら出る女性の良きパートナーとなってほしい」と訴えた。

 

この時のデモでは「おじさんだらけの議会はいらない」「政治も仕事も50(フィフティー):50(フィフティー)」「おじさんだけで法律つくるな」とシュプレヒコールをしたそうですが、茫漠としていて何をどうしろと言いたいのかよくわからない。

野田聖子議員だけが明快です(この記事の範囲では)。「おじさんだらけの議会はいらない」のであれば、「女たちは政治に関心を抱き、自ら立候補せよ」というところまで言うべきです。

前回数字で確認したように、おそらく自民党としても「女性議員を増やしたくない」「女を低く評価している」なんてことはなく、あったとしても主たる理由になっておらず、それよりも人材がいないってことを野田聖子は踏まえているのだろうと思います。

政治家はさまざまな立場の人たちがなった方がいい。当然、女がやってもいい。政治は女も関与していいし、関与すべきなのです。にもかかわらず、女性議員が増えないのは、政治家になろうとするのが少ないから。「もっと出て来い」と野田聖子は主張しています。

それぞれに事情はありますから、そう簡単に選挙に出られないですけど、自身が立候補ではないのであれば、選挙のサポートをする、ブレインになることで女性議員を増やすこができるのだと。

Facebookより

 

 

日本の女の地位は女自身が作り上げてきたもの

 

vivanon_sentence問題がどこにあるのかをわからせ、女たちを叱咤するのが、ごまかしがない最も誠実な姿勢だと思います。こういう人が政治家をやるべきです。

しかし、たぶん野田聖子のような叱咤を理解し、受け入れる女たちは少ないのではなかろうか。あいまいに「男が悪い」「男の議員が悪い」「自民党が悪い」と言っていた方が自分らの責任を見なくて済みます。男が変われば女性議員が増えて政治がよくなり、日本は平和になるとの幻想にしがみついていたい。

他者が解決することを待っているから、女性議員は増えない。男が変わるのではなく、女が変わればこの問題は解決するはずなのです。

もちろん、これ自体、野田聖子が呼び掛けて解消するほど簡単ではなく、このことの背景には女性差別と言っていい問題が社会全体に存在している可能性がありますが、まずは「政治家を目指す意識の偏在によって、こうなっている」ということを理解して解決法を探さないと解決しないって。

結論めいたことを先に言っておくと、これは『闇の女たち』で取り上げたダレル・ベリガンの指摘が今なお生きているってことなのです。日本の女たちの低い地位は女たち自身が作り出してきたものであるのだと。

 

 

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