政治家にとっての学歴—日本の女性議員率 13-(松沢呉一) -2,920文字-
「なぜ女子大は「女らしさ」に執着するのか—日本の女性議員率 12」の続きです。
これ以降、数字がさまざま出てきますが、私が電卓を叩いて出しているため、間違いがありそう。使用する場合は必ず検算のこと。
念のため
「女性議員率を上げることはいいこと」という前提に照らして「役に立っていないどころか、数値を引き下げている要因のひとつになっている可能性がある」と指摘しているのであって、このシリーズでは、女子大の全否定をしているのではありません。私にはよくわからないながら、女子大に存在意義があることを否定するものでもありません。
「女には得意分野があって、それを伸ばすのが女子大なのだから、それを批判するのはおかしい。女子大がイヤなら共学に行けばいい」という意見もありましょうが、それを言い出すと、「現状で女は政治が不得意なのだから、女性政治家率が低いことを改善しようとするのはおかしい」ということになってしまって、話は終わってしまいます。
ロクに読みもしないで、また、自身では女性議員率の背景を探ろうともしないで、「女子大にも意義があるのだ」という主張をしてくる人がいそうなので、「女性議員率に関係しないのであれば、ここではどうでもいい」と先に釘を刺しておきます。
でも、私が否定しなくても、女子大の存在意義は着々と社会に、あるいは女子生徒自身に否定されつつあるのは前々回の数字を見れば明らかでしょう。
※「「女子」の用法」シリーズ用に撮りながら、使用しなかった写真です。東京港区の短大です。
政治家にとって学歴の意味
では、政治家にとって学歴は関係があるのかどうか。大学で何を専攻したのかに意味があるのかどうか。政治家にとって学歴がたいした意味がなく、何を専攻していても関係がないのであれば、女子大がどうしようと変化は起きない。
そりゃ、豊田真由子を見ればわかるように、学歴や専攻から人格までは判断できません。一方で高卒、高校中退の政治家でも、いい仕事をしている人たちは過去も現在もいますから、「学歴より個人」であることは言うまでもない。
仕事によりけりですが、一般に、仕事をする相手の出身大学や専攻はどうでもいいじゃないですか。仕事ができるかどうか、気が合うかどうか、信頼できるかどうかが大事。
私らの場合は、編集者とつきあいが長くなると、どっかしらで出身大学を知ることになったりもしますが、聞いても次に会う時までは忘れたりします。その程度のもの。
しかし、就職時には大学や専攻が関係してきます。出版でもそうです。以下は小学館の採用条件。
大学を出ていない編集者がゴロゴロいる出版社も実在しますが、だいたい大手は偏差値が高い大学の卒業者が多いものですし、専門分野になってくると、それに関係した学校や学部の卒業生を優先的に採用します。
大卒が条件になっていない出版社でも、試験や面接を経ると、偏差値が高めの大学生が残っていくことになりがちです。ボランティアをしていただの、起業をしただの、貧乏旅行で世界各国に行っただのといった活動が評価されることがあって、これも大学生の特権ですから、大学を出ていた方が選択肢が広がることは否定できない。
同じく初めて立候補する際には学歴が関係をしてきます。私も今回改めて調べてみて驚きました。
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