松沢呉一のビバノン・ライフ

「田舎から来た女工達」に描かれた女工の現実—女言葉の一世紀 34-(松沢呉一) -2,964文字-

目覚めた女は狂人かBiSHになる—女言葉の一世紀 33」の続きです。

 

 

田舎から来た女工達

 

vivanon_sentence高群逸枝著『黒い女』(昭和五年)には女工が出てくる作品がいくつかあるのですが、中でも「田舎から来た女工達」に注目しました。「資料編」として、全文を出しましたので、そちらを読んでください。

私はこの小説を「守護神!」と並んで面白く読みました。「守護神!」はある種の人々を象徴的、かつ戯画的に描いたのに対して、「田舎から来た女工達」は、寓話的な手触りがありつつも、よりリアルに女工たちの現実を描き、なおかつ女工の日々とは別に、彼女たちがどこから来たのか、そのことが女工においてどういう影響を及ぼしたかを見せており、そこに「言葉」がからんできます。「女言葉の一世紀」で私が論じてきたことがここに集約されていると言っていい。

以下、「田舎から来た女工達」を順を追って論じていきます。

工場から村に帰ってきた娘たちが、「エムちゃん」「エスちゃん」と呼び合うシーンがあります。これは女学校言葉でしょう。当時、学生たちは、アルファベットを多用しました。

隠語的用法としてのアルファベットとしてはレズビアンを意味するエス(sisterの略で、下級生が上級生を思慕する際に使用したことから始まる)、夫や恋人を意味するエイチ(husbandから)、または男性同性愛を意味するエイチ(鶏姦→henから)、金を意味するエム(moneyから)、または男性器を意味するエム(魔羅)、恋人を意味するエル(loverから)などなど多数のアルファベット隠語がありました。今の「エスエム」「エッチ」とは違いますね。

とくに女学生の間では恋愛(セックスよりも恋愛。シスターも肉体的な関係というよりも精神的なものが主です)にからむ用語が盛んに使用されてました。

ここに登場する女工たちは女学校には行ってませんが、これは学生だけの用語ではなく、広く若い世代が使用していて、彼女らはその影響を受けてました。「都会の流行り」ってことです。

あだ名のイニシャルもその延長でしょう。

 

 

町に染まった言葉も化粧も親たちは歓迎した

 

vivanon_sentence親達はそれらの「何ともえたいの知れぬハイカラな言葉」に困惑しつつも、その様子を好ましく思っていたことが記述されています。意味はわからないけれど、自分らにわからない言葉を使うようになった娘たちを歓迎したのです。

また、頬べたを真っ赤に塗って出歩いたことも歓迎しました。学を身につけ、都会に染まったことを喜んだのです。娘が自分らのような貧しい生活をしなくていいかもしれないことを喜んだのであり、子どもがそうなったことを誇りに思いました。

この都会への憧憬は「ノテの女言葉は方言を蔑む—女言葉の一世紀 30」にあった「中央と地方」の格差を背景にしています。江戸時代でも経済格差はあったわけですが、乗り越えられない身分制度によるところが大きかったのに対して、明治になって身分制度が消えたため、農村部の人たちも夢を見られるようになります。資本主義の夢です。この夢については「女工たちが夢見た未来-『女工哀史』を読む 11」を参照のこと。

苛酷な税金によって農村の暮らしは江戸時代同様に厳しかった現実があり、現金収入を得るため、そして、その先にある夢を実現するため、若い世代は都市に向います。それが資本家にとっては労働力の提供となっていよいよ都合がいい。

中国が開放政策をとって以来、農村部から都市部への移動が自由化されたことによって安い労働力が提供され、経済発展を遂げたのと同じ構造です。農民たちの主観としては自分たちも夢を見る自由が得られたのですし、資本家はそれを利用する自由が得られました。

※戦前は各種隠語辞典が出ていて、国会図書館でもいくつかネット公開されています。これの学生語を見ると、アルファベットの言葉が多数出てきます。図版は栗田書店出版部編『隠語辞典』(1927)。一部しかネット公開されていないのは、復刻されているものが多いためでしょう。復刻されると著作権切れでも公開されなくなる理不尽。出版社や編者の利益が国民の利益より優先されるのはおかしいと思うなあ。

 

 

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