松沢呉一のビバノン・ライフ

「こじらせ女子」をめぐる北条かやと宝島社の責任- (松沢呉一) -3,250文字-

雨宮まみの文章をきっかけにした「『女子』の用法」シリーズのついでに出そうと思っていた記事があるのですが、あのシリーズは最初だけは読まれて、最後の方はほとんど読まれなかったため、「ついで」を出すのもやめました。今さらながらの内容でしたし。

今も出す意味があんまりないかと思うのですが、それにからめて、後半、宝島社で出すはずだった遊廓についての新書をボツにした事情を書いています。Facebookでもこの新書を出す旨を書いていたのですけど、ボツった事情をちゃんと説明してなかったので、私にとっては少しはこれを出す意味があろうかと。つっても詳しくは購読者しか読めないですが、ともあれ話はなくなり、今後も私は宝島社では仕事をすることはないと思います。無理だわ。

その点、新潮社は仕事しやすいぞー。

 

 

出版社の問題

 

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ついでの話。

雨宮まみの「こじらせ女子」と言えば、宝島社から北条かやというのが「こじらせ女子」という言葉を使用した本を出して、雨宮まみが呆れたことがありましたね。詳しくはこのまとめを参照のこと。前半にも口出ししたいけど、今回は後半です。

「こじらせる」は一般の動詞。「〜女子」というのもよくあるフレーズ。その合体ですから、言葉だけを取り出すと、そんなに胸張って「私のもん」と言えるほどのものではない。

私は日垣隆に、「魔羅の肖像」というタイトルをパクられたことがありますが、『魔羅の肖像』はそこそこ売れたので、オリジナルはこっちであることを知っている人は多いでしょうし、このタイトルをその後も継続して使っているわけではないですから、今後使いにくくなってもそんなに困らない。

「日垣隆は自分でタイトルも考えられないのか」と呆れておしまい。皆さん、呆れればよいと思います。

言葉だけをとらえるとそういうことになるのですが、雨宮まみの場合は経緯ってもんがあります。宝島社から「こじらせ女子」をテーマにした本の企画が雨宮まみに持ち込まれ、それを断ったら、別のライターを使って「こじらせ女子」をテーマにした本を出したという経緯。これは第一に出版社がひどい。

それをわかっていて引き受けたらんだったら、書き手も非難されてしかるべきです。

 

 

気に入らないタイトルは断ればいいだけ

 

vivanon_sentence広く認知された言葉を創案者の知らないところで使用することは当然あるでしょう。ギャグだってそうです。

しかし、「誰でも知っている(「テレビでも使用されている」というレベルの話)」というところに至っていない場合は、オリジナルに敬意を払うのは当然かと思います。私はわりと丁寧にこれをやっています。言葉だけではなく、考え方についても、「誰が最初に言い出したか」「自分はどこで知ったのか」をできるだけ記載する。文章化されている場合は正確に引用をする。そうすることで困ることは何もないですから。困るとしたら、オリジナルが何もない人でしょう。すべてが借り物であることがバレる。

北条かやって人も、この言葉は雨宮まみが生んだものであることをちゃんと書けばいいのに、それもやっていなかったのですね。

北条かやはこれに対して「大人の事情」と説明しています。「編集部が売るためのタイトルをつけた」ということのようで、自分は使いたくなかったと弁明。だとしても、文中で、雨宮まみの名前を出すことができないはずがない。

タイトルを編集部がつけることはよくあるのですけど、書き手も当然確認をします。「おまかせします」と言ったとしても、ゲラの段階でわかりますから、「本が送られてきて初めて知った」なんてことはまず考えられない。そのタイトルを自分が望んでいなかったんだったら、断ればよろしい。

ちなみに「闇の女たち」は私がつけたタイトルで、サブタイトルの「消えゆく日本人街娼の記録」は編集者とああだこうだとアイデア出しをしつつ決定したものですが、どっちかと言えば編集者主導で、サブタイトルをつけることも、そのサブタイトルも私は納得しています。あとになって別のサブタイトルの提案があったのですが(営業からの提案)、私は「それはやめてくれ」とお断りしました。内容とずれますから。すんなり「それはなし」ということになりました。

私の知る限りはこういうもんであって、原則、題号は著者の権利ですから、著者が拒否することができます。もちろん、出版社としては「そのタイトルでは出せない」とごり押しすることもあり得ますが、「だったら、この話はなかったことに」と原稿を引きあげればいい。これは無礼でもなんでもない。タイトルの責任は著者がのちのちまで負うのですから、そこにこだわっていいのです。

それまでの作業が無駄になりかねないですから、そうはいかない場合もありましょうが、宝島社はそこまで強引なことをするのですかね。するかもね。

 

 

宝島社から新書が出る話をボツにした事情

 

vivanon_sentenceその経緯から考えて、最初から、「こじらせ女子」がテーマであり、タイトル案になっていた可能性があって、企画段階で、そのことは明示されていたのではなかろうか。それがイヤだったら、その段階で断っていればよかっただけでしょう。そうしていれば無駄もほとんど生じない。

北条かやも責任から逃れられないですが、宝島社はひどい。二番煎じを狙うとしても、別の言葉を作るくらいの工夫があっていいだろうに。

ちょっと前にFacebookで、「ビバノン」で書いてきた遊廓の話を新書にすることになった旨を書きましたが、あれは宝島社です。この経緯を見ると、北条かやのケースもどういうことなのか理解できようかと思いますので、書いておくことにします。

 

 

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