松沢呉一のビバノン・ライフ

美術モデルってどんな仕事?—美術モデル体験記 [1]-[ビバノン循環湯 333] (松沢呉一) -4,261文字-

1998年に書いたもの。コアマガジンの女子向け雑誌だったはず。ここに出てくる美術モデルのギャラなどの条件はすべて当時のもの。おそらく今もそんなに変わっていないと思いますが。もちろん、誌面には私の全裸写真が多数掲載されてました。

雑誌に掲載されたのはこの一部で、コメントしてくれた美術モデルの実名も出していたので、裏話的な話は誌面ではさほど紹介していなかったはず。多数言葉を使用しているので、この再録に際して本人に確認するのが筋かと思うのですが、連絡がとれない人もいるため、すべて名前を伏せました。

 

 

美術モデルという仕事

 

vivanon_sentence一九五九年(昭和三四年)四月「別冊・週刊サンケイ」の特集は「東京探検」。

モノクロ・グラビアでは「生活探訪・モデル画学生」と題して、上野にあるプール・ブー・モデル斡旋事務所に登録して美術モデルとして生計を立てながら、芸大の研究生として画家を目指している由良みさをさんという人物にスポットを当てて、その生活を写真で追っている。

彼女は三畳一間のオンボロ・アパートに住みながら、夜は、モデル仲間だけで経営している池袋のバー「炎」で働いてもいる。

彼女が登録していたプールヴー(こちらが正式な表記)は戦前からある由緒正しい美術モデルの事務所で、かの淡谷のり子も学生時代はここに登録して美術モデルをやりながら、美大生と浮名を流していた。

それから半世紀近く経った現在、美術モデル専門でやっている事務所は、プールヴーと北村モデル事務所が二大大手で、プールヴーの創設者は現在も現役で社長をやっているそうな。創設当時は若かったのだろうが、それにしてもすでに八十代か九十代か。

美大は金がかかるので、今時のアーティストといえば、金持ちの道楽息子や道楽娘だったりもするわけだが、この当時は貧しいながらも夢を捨てない画学生がいたのだ。

と、そのページを見て思ったわけだが、よーく考えてみれば、私の知り合いでも、美術モデルをやりながら、時々エロモデルをやり、また、自分でも絵を描いていた女性がいた(今も美術モデルをやっているのかどうかは知らない)。なんだ、似たようなのがいるじゃん。

彼女以外でも、美術モデルに何人も会ったことがあるが、「へえ」で話を終わらせてきてしまい、詳しいことを聞いたことがない。はて、美術モデルって何だ?

美術学校の授業でモデルをやったり、画家や彫刻家の先生のモデルをやったりする仕事であることはバカでもわかるが、どの程度の金をもらえて、どんなシステムで仕事をして、どんな人がやっているのか、いまひとつわかりにくい。では、今の美術モデルたちに話を聞いてみることにしよう。

Raphael Soyer「Sketch Class」

 

 

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