松沢呉一のビバノン・ライフ

高群逸枝が描き出す女工間格差—女言葉の一世紀 35-(松沢呉一) -2,960文字-

「田舎から来た女工達」に描かれた女工の現実—女言葉の一世紀 34」の続きです。

 

 

 

もうひとつの格差

 

vivanon_sentence細井和喜蔵がそうであったように、多くの女工たち、親たちの主観とは別に、その不当な労働環境を見抜いていた人たちもいました。当然、高群逸枝もその視点で「田舎から来た女工達」を書いています。

冒頭の記述は、正月なのかお盆なのか、短期の帰郷だったようで、ここからの工場の記述は、相当に過酷です。

それが十二時間労働といふものだった」とありますが、朝三時に起きて夜の十時までだと、十九時間。食事時間が各一時間として残りは十六時間。四時間は残業ということでしょう。このあとの二章では、深夜二時に起こされるともあります。当時の大規模な工場はほとんどが二十四時間操業でした。

「それが十二時間労働」というのは、「十二時間労働のはずなのが、実際には一日のほとんどが労働時間だった」という意味であり、「十二時間も働かされた」と言っているのではありません。きれいに十二時間で終わるのであれば楽な方ですから。

鉛筆や切手も没収なのは、工場側は外との通信を好まなかったためです。「他の工場ではもっと条件がいい」となると逃げ出す女工が出てきてしまい、その手引きをするのも現れます。これも『女工哀史』の記述通り。

高群逸枝は自身、女工体験があって、彼女の場合は女学校を出た後なので、環境がまた違っていたはずですが、その時に仄聞したことが反映されているのでしょう。『女工哀史』を参考にしているのだろうとも思ったのですが、『女工哀史』より、「田舎から来た女工達」の方が発表は先だと思います(『女工哀史』は単行本の前に雑誌に発表されていた可能性がありますが、おそらくそれよりも「田舎から来た女工達」の方が早い)。

ここには『女工哀史』になかった(たぶん)もうひとつの過酷さがありました。女工たちの生い立ちは似たり寄ったりで、金のある家庭に育ったのであれば、女工にはならないわけです。しかし、出身地の格差がはっきりとありました。

Lewis Hine「Ivey Mill, Hickory, N.C. Little one, 3 years old, who visits and plays in the mill. Daughter of the overseer.」 これも前回同様、ルイス・ハインの写真。

 

 

男工をバカにする女工たち

 

vivanon_sentence田舎から来た女工達」に登場する女工たちの故郷は九州ということしかわからず、工場の場所も海の向こうとしかわかりません。すでに述べたように、高群逸枝は熊本県出身であり、おそらくこれも熊本なのでしょうが、「田舎臭い言葉」でしかなく、あえて場所を限定しなかったのかもしれない。

それが中国地方であれ、関西地方であれ、おそらくどこの地域でもこの格差はグラデーションとなって存在していたのだろうと想像できます。今だってそれが残っているわけですし。

九州からやってきた娘たちは、工場と近いところの農村部から来た女工たちに比べれば「田舎っぺい」でした。話さえしてもらえない。虐げられた者はさらに下を見つけて虐げる構造ですが、この構造を強化したのは、九州の娘たち自身でもあります。

女工たちは流行りの言葉を使いたがり、化粧をしたがる。そうすることで、そうしない女たちはいよいよ下部に位置する。

そうなったことで彼女たちは、もっと田舎出身の女工たちをバカにしたでしょうし、田舎に帰って、田舎暮らししか知らない村の人々を見て優越感に浸る。

しかし、少しは流行りものを知っていて、少しはオシャレもできている女たちは、下を見ている場合ではない。見ているのは上です。

彼女たちはこう唄います。

 

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