松沢呉一のビバノン・ライフ

蔑まれた女たちは革命家に—女言葉の一世紀 36-(松沢呉一) -2,394文字-

高群逸枝が描き出す女工間格差—女言葉の一世紀 35」の続きです

 

 

そして、革命へ

 

vivanon_sentence そして、年期明け。村に戻ってきた娘たちは革命家になっていました。この本を通して、もっともドラマチックな展開。この本に収録された作品群の中では、珍しくフィクションらしいダイナミズムがあります。

ここまで鮮やかではなかったにせよ、事実、こういうことはあったわけで、「フィクションらしい」とするのは間違いかもしれないですが、工場で労働争議をする女工たちの故郷を見せ、しかもその過程を全部すっ飛ばしていることで、その変化がドラマチックなのです。

上昇できなかった、あるいは自ら諦めたため、イニシャルを愛称とすることくらいはあっても、田舎ものだらけの女工の中で、もっとも田舎ものであった女工たちは、男に媚びる丁寧な都会の女言葉は覚えず、その代わりに覚えたのは、母親たちから見ると学者のような言葉でした。「労働者は団結せよ」「我々の血を吸うブルジョア資本を打倒せよ」みたいな言葉のことでしょう。

女工たちを含めて女たちは上昇するために女言葉を覚えました。方言を消して、全国共通の「ですます言葉」「女言葉」を覚えました。「壁のお婆さん」も女学生の間は女言葉を使っていました。

この上昇は、男に気に入られ、よき妻になるという意味であって、社会構造を変えるものではなかったのだし、女総体の地位を変革するものでもなく、社会が望む女になることでしかありませんでした。

体制内でのよりよい地位、よりよい収入を得ることでしかなかったのに対して、田舎の女工たちはそれを拒否したのです。「壁のお婆さん」は上昇することをやめて自分の言葉を取り戻し、女工たちは新しい言葉を覚えました。

Édouard Baldus「Village de Murols」

 

 

町を野に

 

vivanon_sentence同書の「」第六作でもそのことが描かれています。ここには白粉、絹の着物、ダイヤの指輪でそのことが表現されています。

 

 

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