松沢呉一のビバノン・ライフ

セックスしまくりでも仕事のできる政治家を支持する—今井絵理子は自民党にとって期待の星だった 下-(松沢呉一)-3,086文字-

なぜ問題を起こす女性議員が多いのか—今井絵理子は自民党にとって期待の星だった 中」の続きです。

 

 

 

国民の意識と環境が生み出した今井絵里子という国会議員

 

vivanon_sentence「育児も家事もできないけれど、仕事ができる編集者」と「育児や家事は完璧ながら、仕事ができない編集者」とがいたら、私は迷わず前者を選択します。「セックスしまくりだけど、仕事ができる編集者」と「貞操を守りながら、仕事ができない編集者」とがいたら、私は迷わず前者を選びます。

この時に「不倫しまくりでもいいのか」という問題もあって、トラブルになると、仕事に支障が生じることがあります。しかし、それがトラブルにならないのであれば問題なし。配偶者もそれを容認しているとか、細心の注意をしているとか。

政治家も同じです。「育児も家事もできないけれど、仕事ができる政治家」「セックスしまくりだけど、仕事ができる政治家」を私は選びます。

しかし、「育児や家事は完璧ながら、仕事ができない政治家」「貞操を守りながら、仕事ができない政治家」を選択し、投票するのも多そうです。

金子恵美議員の公私混同を擁護した人たちは、今井絵理子に投票した人たちと大差がない。金子恵美議員の件では、投票したわけではなく、その行為を擁護したに過ぎないので、そこに違いはあれども、「母」という属性を動機として投票することと、公私混同をしてはいけない政治家という属性の上位に「子育てする母」という属性を位置させるのは通じるものがあります。

であるなら、その人たちに適した候補を送り出していくのは党として正しい。他の条件が同じなら、結婚していない候補や結婚していても子どものいない候補よりも、子育てをやっている候補を推すのが正しい。子どもがいなけれぱ公用車の私的利用は起きにくいのだけれども、私的利用が起きても、子育てをしている女性議員の方が強い。

今井絵理子オフィシャルサイトより(写真の子どもは自分の子どもではないかと思います。あるいは昔の写真か?)。

 

 

子育てしているから望月衣塑子記者がかっこいいわけではない

 

vivanon_sentenceちょっと前のこと。

私はFacebookで以下の記事をシェアして、東京新聞の望月衣塑子記者を「かっこいい」と表現しました。

BUSINESS INSIDER JAPAN」より

 

最初にこれを見た時に、「子育てしながら権力と対峙する」という見出しはひっかかりました。「子育てと新聞記者として信頼できるかどうかとは関係ないだろ」と。

しかし、記事を読むと、彼女が菅義偉官房長官の会見で食い下がる立場になったのは、子育てが関わっているため、そこに注目するのはおかしくないと納得してシェア。

望月衣塑子記者の場合はすでにいくつもインタビューが出ているので、そろそろ私生活に踏み込んだ記事が出るのもまた必然とも言えて、男であっても、「話題の人」はそういう踏み込み方をされていくものです。

しかし、本来は子どもがいるかどうかはどうでもいい。結婚してなくても、離婚していても、子どもがいなくても、子どもを夫や親に任せっぱなしでも、ジャーナリストは仕事で評価されればいい。

それとも、結婚しているジャーナリストの方が結婚していないジャーナリストより偉く、子どもがいるジャーナリストの方が子どもがいないジャーナリストより偉く、子どもが二人いるジャーナリストの方が一人しかいないジャーナリストより偉いのか? 子どもを五人育てたジャーナリストは無条件に誉め称えられるのか?

私のFacebookの投稿でのコメント欄のやりとりも参照して欲しいのですが、望月記者がかっこいいのは、母親だからでも、女だからでもないのです。男であっても女であっても、どっちでもいい。そこは評価対象ではありません。

 

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