松沢呉一のビバノン・ライフ

岩波書店の事情を推測する—高井としを著『わたしの「女工哀史」』のもやもや 追加編 4-(松沢呉一) -3,271文字-

著者の死後、著作物の間違いを直すべきか否か—高井としを著『わたしの「女工哀史」』のもやもや 追加編 3」の続きです。

 

 

 

モンローさんの場合

 

vivanon_sentence拙著『闇の女たち』では、福岡の男娼モンローさんが語った言葉の中に、戦後間もなく、夜行列車で広島に行く話が出てきて、古い時刻表に照らすと、発車時間と到着時間が違うと新潮社の校閲から指摘がありました。さすが新潮社の校閲、これぞ校閲の仕事です。

本人と連絡がとれれば正しい時間に直すこともできますが、すでにモンローさんは亡くなったようです。本人の意思を確認できないと、書き換えることに抵抗があります。いかに正しい時間がわかったのだとしても、たまたまその時に臨時列車が出ていたことまでは時刻表からはわからないし、時間が入っていた方がリアルでいいのですが、私はやむなくカットしました。

この場合はインタビューですけど、その言葉の権利はモンローさんにあります。本人がそう言っている以上、間違いであっても尊重すべきという考えもあるのだと思います。正確にモンローさんがなんと言っていたのか文字起こしを確認するのが面倒なので記憶で書くと、「夜の11時50分の福岡発の夜行列車」というのはモンローさんにとっての現実。その現実を時刻表で否定することはできない。

そのリアルさを生かす編集者や書き手もいるかと思いますが、鉄道マニアの中には気づく人がいるでしょう。気づく人が誰もいないとしても、存在しない夜行列車を走らせるわけにはいかない。もし残すとしたら、「この時間は当時の夜行列車の時間とは違う」と注を入れるのが正しい処理かと思います。

それもまた無粋ですから、私はこの部分をカットしました。インタビューですから、もとより正確さを求めるようなものではなく、その場の思いつきだろうと判断できて、正しい時間に直してもいいだろうと思います。しかし、本人が書いたものだったら、直すことの抵抗はもっと強くなります。

同様に、高井としをが語るアインシュタインの件も、カットでよかったのではなかろうか。「すでに単行本で出てしまっているので、今さらカットしても」という気持ちもわかるのですが、単行本がベストセラーになったわけではない。岩波文庫の方がずっと部数が多く、長く人目に触れるので、こちらが定番になる。だからこそ、間違いはなくした方がいい。

 

 

他社の編集者はこう語る

 

vivanon_sentence本を読む場合は、いったん著者と自分を重ねる。私も最初はこの本を著者の立場で読み、「なんか変だぞ」と思いつつも、解説を読んで、やっとそのもやもやを解消した方がよさそうだと感じたわけで、おそらく読者のほとんどは疑問を抱かなかったはずです。

時に編集者は一般読者よりも疑いをもたずに、担当の原稿を読む。思い入れをすることが仕事ですから、著者の立場からしか原稿を読まない。

だから、それとは違う距離で原稿を読む校正、校閲の役割が重要になります。校閲が優秀、つまりは厳しいのは新潮社がよく知られます。続いては講談社と言われておりますが、岩波書店の校閲も優秀らしい。したがって、私が指摘したこの本のおかしな部分については、岩波の校閲も気づいたはず。結局は個人ですから、岩波もいろいろであって、制度として緻密であり、平均値として優秀ってことでしかないですけど。

中途半端な注をつけただけで、削除をしなかった事情については、他社の編集者の意見を聞いています。

 

 

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