松沢呉一のビバノン・ライフ

イラストが契約書もなしに著作権譲渡だとされる理不尽—著作者人格権について 6[最終回]-(松沢呉一) -3,401文字-

人格権を主張しない契約は無効(おそらく)—著作者人格権について 5」の続きですが、買い取りについては「『わたしの「女工哀史」』のもやもや」シリーズが参考になろうかと思います。

 

 

 

人格権もさまざま

 

vivanon_sentence前回書いたように「人格権を主張しない」という内容の契約は以前から広告の世界では交わされていたと聞きます。具体的な契約書を見たことがないので、どういう文言になっているのかわからないですが、事情は想像できます。

ある商品パッケージ用のイラストをイラストレーターに頼む。この商品がヒットして、シリーズ化された時にもイラストを使用し、広告にも使用し、販促グッズにも使用する。その際に、イラストの一部を切り取って使用したり、色を変えたりする。そのひとつひとつの承諾を得るのは煩雑です。

しかし、この場合でも「当該イラストは、商品パッケージ、宣伝、販促用に使用することがあり、その際に用途、様態に合わせて、イラストを加工し、一部の使用をすることがある」といった内容に制限すべきであり、実際にはそうなっている契約が多いのではなかろうか。

つまりは、人格権もその内容はさまざまであり、容認できる範囲がさまざまである以上、これを「人格権を行使しない」とざっくりとまとめてしまうのはおかしいし、そうしなければならない必然性はありません。

まして漫画の場合は、商品用のイラストと違って、それ自体単独で表現として成立し、それ自体が商品価値を持つものなのだから、そのサイトが閉鎖されても、次の場所に転載することがありましょうし、作品集に入れることもありましょう。

著作権を譲渡してしまったら、それも承諾なしではできなくなり、使用料を求められたら払うことにもなります。自分の作品なのに。

ネットの場合は仕様を変えることがよくあって、その度に契約をし直し、承諾を得るのが煩雑という事情がありそうですけど、これに対応するためには、そのサイトの範囲で買い取りにすればいいだけの話で、譲渡契約までする必然性はない。

まして著者の名前、題号、内容に手を加える必然性はない。

こういった理不尽かつ不当な契約については変更を申し出るべし。「契約書の文面変更を申し出たこともあるが、法務がいい顔をしないらしい」ともありますが、こんな契約書を作った法務が悪いのです。こういった契約を恒常化させないためにも、断固抵抗した方がいい。

※「Original packaging for the Actresses series (T176) issued by Sweet Caporal Cigarettes

 

 

イラストが契約書もなしに著作権譲渡だとされた件

 

vivanon_sentence以下の話は人格権とは関係がないのですけど、買い取りの関連で、このシリーズの最後に触れておきます。

 

 

 

 

イラストレーター本人の説明によると、レコード会社は「契約書は交わしませんが、著作権は我々のものですから」と言っているとのこと。

このレコード会社の主張は無理があろうかと思います。私も昨今のことは知らないですけど、CDのジャケットや本の表紙のイラストはデザイン込みで十万円というのが上限じゃないでしょうか。下限はないですが、ありもののイラストを借りるだけなら二万か三万といった程度。つまりは二次使用。売れ線のもので、ビッグネームに依頼する場合はもっと払うこともあるのでしょうけど、それでも知れてましょう。

本の表紙でもCDのジャケットでも、おそらく今でも契約書を交わさないことも多いのだと思います。すべて口約束。

その上で著作権譲渡契約が成立していると主張するんだったら、たとえば三十万円なり五十万円なりの額を支払っている必要があります。通常は著作権譲渡契約ではなくて、そのCDなり本なりの範囲で買い取りという契約ですから、譲渡契約であれば、そういう金額を払っている必要があります。

 

 

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