松沢呉一のビバノン・ライフ

パンパンたちは温泉地に逃げた—パンマの歴史-[ビバノン循環湯 317](松沢呉一) -2,302文字-

おっパブ嬢から意外な情報—渋谷にパンマを見た 1」「昭和三十年代のギャルが今も働いている?—渋谷にパンマを見た 2」「眠れるパンマ—渋谷にパンマを見た 3」の取材のあと、「スナイパー」に書いたものです。2004年に書いたもの。あちらでも軽くパンマの歴史に触れてますが、こっちの方が詳しい。

 

 

渋谷のパンマ

 

vivanon_sentence昨年知り合った二三歳の風俗嬢がいまして、彼女はいろんな風俗業種で働いてきてます。中でもパンマ体験があるという話にはビックリです。本人はパンマという言葉を知らなかったのですが、話を聞いたら、まさにパンマです。

パンマというのは、「パンパンマッサージ」または「パンパンアンマ」のことです。昔はよくあったシステムで、ラブホや連れ込み旅館に一人で入って、仲居さんに「ここは遊べる?」と聞くと、「どんな子がいいですか」「若い子がいいね」なんてことになって、間もなく、白衣を着た女が部屋にやって来てます。

体をマッサージしてくれ、「あら、お兄さん、こっちの方も凝っているんじゃないの」「最初からこっちもそのつもりだよ」なんてことになって、別料金を払うわけです。

彼女がいた店はマッサージ業の認可をちゃんと得ていて、渋谷のラブホテルやビジネスホテルに出張します。あくまでもマッサージ業なのです。

つうことで、彼女の手引きでさっそく体験をしてきました。それはまた改めてまとめるとして、この機会に、パンマという業種がいつ出てきたのか調べてみました。

「パンマ」という言葉は出てこないのですが、「夢千一夜」(東販社・昭和二八年十月発行)という雑誌に「温泉マークで稼ぐ女按摩」としてその原型が出ています。「ニュースストリー」とあって、実際にあった事件を小説仕立てにしたものです。そう書きながらインチキな記事もあったりするので油断がならないのですが、これは実際にあった話を脚色したっぽい。

母親が亡くなり、父親も病床に伏した女子大生が渋谷のハチ公前で声をかけられ、女中ということで働きに行ったのが売春組織。渋谷の松濤あたりにあったと思われる旅館に派遣されます。しかし、客としてやってきたのは刑事で、一網打尽にされるという話です。

ここでは白衣を着ているわけでなく、マッサージをするわけでもなく、単なる派遣売春業ですが、タイトルに「按摩」とあるので、表向きはやはりマッサージ業になっていたのでしょう。

Lucas Cranach the Elder「Samson and Delilah」

 

 

摘発から逃れた女たちが温泉地でパンマに

 

vivanon_sentence昭和二十年代半ばから街娼に対する規制が厳しくなっていたため、この頃からこういう業種は存在しており、当時は「色あんま」とか「色もみ」と書かれています。昭和三五年には太田町子『色あんま』(朱雀新社)という本も出てます。その原型はあったにしても、この本がそうであるように、この業態が広がるのは売防法施行以降のことです。いわゆる白線です。

その辺の事情については、「100万人のよる」(季節風書店)昭和36年8月号掲載「新女体供給ルートを訪ねて」に詳しく出てます。この記事は売防法施行から三年経って(この記事では「売防法以降五年」になっていますが、これは制定から数えた数字です)、新しい売春業種がどうなっているのかをルポしたもので、その中に「マッサージ売春」という項目があり、「パンマ」という言葉も出てます。

 

熱海、伊東の名物である。関西では白浜にある。

 

 

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