松沢呉一のビバノン・ライフ

松崎天民著『運命の影に』で描かれる女学生—女言葉の一世紀 44-(松沢呉一) -2,406文字-

女学校は女の社会進出のために存在していたのではなかった—女言葉の一世紀 43」の続きです。

 

 

派手な格好で化粧をする東京の女学生

 

vivanon_sentence松崎天民の雑文集『運命の影に』(大正六年)の中に、当時の女学生がどういう存在だったかを示唆する記述がいくつか出てきます。

以下は、天民がニコニコ散人という人物と写真家を同行して旅行をした時の記録「大正膝栗毛」から。

 

 

新淀川を過ぎ十三を過ぐる頃より、田園の風趣、捨てがたき眺めあり。家路へ帰る幼き女学生十余人、何れも久留米絣の元禄袖にて、エビ茶モスの袴を穿ちたり。「大阪は成金の都だといふが、女学生の風は東京の様に華美(はで)でない。見給へ銘仙やモスリンの単衣を着た娘は一人もなく、白粉を附た女も一人もない」と、天民君観察して云ふ。

 

 

この一文は天民とニコニコ散人が交替で書いていて、ここはニコニコ散人による記述です。

東京の女学生は派手な格好をし、化粧をするのが当たり前だったことがわかります。コギャルじゃん。

化粧して学校に行っていたこと自体、一般に抱かれている「戦前の女学生イメージ」と違いますけど、地域によっては、また時代によっては、女学生は見た目もコギャルだったのです。

 

 

「都新聞」の身の上相談

 

vivanon_sentence松崎天民は「ビバノン」に何度か登場しています。新聞記者出身の人気探訪記者(ジャーナリスト)です。まったくのウソを書いたり、噂話を事実のように書く人ではありません。

運命の影に』には新聞に掲載される身の上相談の裏話を書いた「思ひ悩む女」という文章が掲載されていて、これが世相を反映していて面白い。

身の上相談のコーナーを最初に新聞紙上に設けたのは「都新聞」です(この相談をまとめた単行本『男女の煩悶 相談の相談』(求光閣/大正元年)が「百年前の陰毛-毛から世界を見る 2 」に出てきます)。この天民の記事も「都新聞」に取材したものです。

「都新聞」が始めた身の上相談のコーナーが人気となって、各新聞があとを追うのですが、相談の中には紙面での回答だけでは解決ができないものが多く、また、紙面には限りがあるため、新聞社は直接面談をする窓口を設置します。無料ですから、こちらもまた人気を集めます。

当時は弁護士に相談するのは今の比でなく敷居が高く、その分、新聞社には深刻なものが多く持ち込まれます。相談の具体例とその解決、あるいは失敗について天民が記述しており、無事解決したものもあれば、解決したはずなのに相談者が自殺してしまった例もあります。

 

 

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