松沢呉一のビバノン・ライフ

女学校が抱えていた矛盾—女言葉の一世紀 46-(松沢呉一) -2,819文字-

女学校の理想と女学生の現実—女言葉の一世紀 45」の続きです。

 

 

 

なぜ女学生たちはそうも焦っていたのか

 

vivanon_sentence女学生言葉が出て来ないため、取り上げていませんでしたが、ここまでに何度か出てきた石角春洋著『穴さがし五分間応接』にも女学生の項があり、なぜこうも女学生は不祥事を起こしやすかったのかについて説明をしています。

 

近来女学生の思想が我教育の目的に反しては置りやしまいが、我教育の目的は虚栄心を殖けるのではない、又堕落を教えるのでもない。良妻賢母たらしめんとするのだ。然るに多くの女学生は、そんなことは無頓着、女学校でも卒業して居なければ、鼻を高くして嫁入することが出来ないと云ふ、浅薄な考から入学するのだから始末に終(ママ)へない。甚だしきに至っては猫でも杓子でも、女学校さへ卒業すれば良家へ嫁ぐことが出来ると云ふ虚栄心から入学するのであるから女学校卒業を一種の嫁入道具のやうに心得て居るものさへある。こんな不心得で入学した女は、遂に其虚栄心の為めに一生涯を犠牲にするのである。この種の女が堕落する原因は多く左の順序である。

曰く「何々さんは良家の御子息だってねえ。だから、私し彼の方なれば大丈夫だと思ふてよ。第一右郷(うち)が良くなければ駄目よ、右郷さへ良ければ学校なんかどうでも良いのよ」などと云って居るので遂に其の男に翻弄されて終う。固より無垢の女を翻弄しやうとする男だから、右郷に金の茶釜が幾つでもある様なことは無論云ふ。それを虚栄心の強い女は真実にとるから始末に終(ママ)えない。早速彼奴の悪辣な手管にかかって堕落する。さあ堕落して終うと男の方で御免と計かりに高飛びをする。かうなってくると女の方では覚悟するかと思ひの外、自暴自棄になりよって、又も引っかかる。それが度重なると、生れもつかぬおてんばとなって親なかせをやりよる。

 

※句読点は読みやすく直しています。また、カッコの位置がおかしい上に閉じカッコが欠落しているため、それも修正しています。

 

良妻賢母を教えるということは、社会進出をするのではなく、良家に嫁ぐことが必然的に目的になります。その女子教育の間違いを批判しないまま、女学生を叩くのはどんなもんかと思うのだけれど、当時の現実をある程度は反映した意見でありましょう。

 

 

next_vivanon

(残り 1949文字/全文: 2941文字)

ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。

ウェブマガジンのご案内

会員の方は、ログインしてください。

« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ