松沢呉一のビバノン・ライフ

学習院女学部と虎の門女学館はハイカラ女学生の拠点—女言葉の一世紀 63-(松沢呉一) -2,922文字-

鳩山薫子が語る女学校教育と鳩山春子の春画スキャンダル—女言葉の一世紀 62」の続きです。

 

 

 

流行は女学生が作り出した

 

vivanon_sentence娘問題』には、小間物屋の店主が三人登場していて、「下町と山の手の違い」や「女学生気質」がよくわかります。

小間物屋というのはもともとは櫛や白粉などを扱っていた店ですが、明治以降は香水だったり、帽子だったり、リボンだったり、アクセサリーだったり、洋装にも対応する店になっていきます。東京ではとくに日本橋、京橋に問屋や小売店が集中していたようです。

ここには女学生を筆頭とした若い娘さんたちが出入りしてましたから、店主はその動向をよくわかっているというわけです。

まず南伝馬町(京橋の近くで、現在は京橋に吸収)の「大西白牡丹」の主人の談話。

 

 

以前は結綿なら下町の娘さん、文金高島田ならお屋敷のお嬢さんと一目で判ったものだが、女学校が盛んになってからは一寸見分けが付かなくなった。夫れでて(※「それでいて」だろう)何処かに争はれぬ処があって、矢張り山の手は山の手、下町は下町らしい特徴がある。下町の娘さんが一寸買物に来ても、階下の陳列場で済むなら済まして、其の儘帰って了う。余程懐中が暖かでないとおづおづして二階三階と上がらない。之が山の手のお嬢さんだと、仮令(たとえ)買ふ気がなくとも、来た序でだから、見ゑる丈、物は見て置こうと云ふ風でどんどん見て廻る。此の辺に下町式と山の手式の気風の仄見える処があると思ふ。買ひ振りは何と云っても山の手のお屋敷が一等で、下町では浜町から牡蠣町へ掛けて最も金切れが宜い。而して山の手は値が高くても長持のする方を選び、下町は絶えず新物を逐う、と云ふ調子である。

 

 

この頃はまだ新宿以西は東京市でさえないですから、山の手は永田町、麹町、青山、赤坂などの皇居周辺や、高輪、目白などの屋敷町のことです。華族に加えて、この頃は新興の富裕層が住む場所です。

山の手の方が新しいものが好きな傾向があって、これはたとえば舶来のものに飛びつくような特性として表われる。洋装もそうでしょう。下町娘は舶来ではなく、新物を欲しがる。山の手は洋食、下町は初物を食いたがるのと同じです。

浜町、牡蠣町は芸者町です。ここは女学生とは関係がなく、芸者の買物のこと。下の下に出てくるインタビューを参照のこと。

※図版は『娘問題』ではなく、中山安太編『東京模範商工品録』(明治四十年)より。こちらには松田白牡丹となっていて、住所も京橋区尾張町なので、どちらかが暖簾分けした分家でありましょう。

 

 

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