松沢呉一のビバノン・ライフ

体操の時間も運動会も袴だった—女言葉の一世紀 52-(松沢呉一) -2,418文字-

関東大震災と洋装普及—女言葉の一世紀 51」の続きです。

 

 

 

標準服は当初五種

 

vivanon_sentence関東大震災を契機に、洋装の標準服が指定されて、制服化したとは言え、当初は五種の中から選択ですし、「だいたいこんな感じ」ってことであって、業者の指定まではなく、同じタイプでもまったく同じではなかったのだと思います。

写真で見る明治から昭和初期の女学生の服装 下の昭和五年六年の卒業写真でセーラー服以外の制服っぽいのが何種か見えたのは、五種の標準服の指定のためです。

学校側としては、洋装化によって見た目がバラバラで揃っていないことを避けるとともに、ほっとくと女学生たちはハイカラ化しますから、モガみたいな格好をして通学されることを避けたかったのでしょう。

選択肢が多数あったにもかかわらず、圧倒的にセーラー服が多かったように、セーラー服は女学生自身の選択だったことがわかります。

選択制にしても、生徒が選ぶ標準服には偏りがあり、昭和七年に、その中から二種に絞り込みます。その服装規程が以下。

 

 

八六 服装規程現行の服装規程左の如し。

第一條 生徒の通学服は左の如く定む。

 

 

 

色や生地も指定され、ネックタイの色や結び方も指定され、これぞ制服。

こうして、複数の標準服が指定されながら、結局、セーラー服を選択するのが多く、こういう場合、自分だけ違う格好をするのは少ないので、とくに一種に制限しなくても、セーラー服に統一されていったのだと想像できます。その点、クラスに一人か二人しかいないのに、袴の時代に洋装を始めた生徒たちは偉い。

 

 

 

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