大阪娘と東京娘の比較—女言葉の一世紀 59-(松沢呉一) -3,220文字-
「「大ハイカラ」とは?—女言葉の一世紀 58」の続きです。
大阪娘と東京娘
明治から昭和初期までの「ハイカラ」の用法は前回書いた通りです。
どうやらハイカラ女学生は東京特有の現象だったようです。当たらしものがりやが多い札幌あたりにもいたかもしれないけれど、ハイカラに徹するためには金がかかるので、それができる富裕層が数々いたのは東京ということになりそうです。
松崎天民著『運命の影に』(大正六年)に、大阪と東京の女学生の比較が出てましたが、もっと詳しく両者を比較した談話が扇谷亮著『娘問題』(明治四五年)に出ていました。
この本は有名無名の人々が娘問題を語るインタビュー集で、某会社社長夫人は大阪と東京の娘さんたちをこう比較しています。
大阪の娘(いと)と東京の娘(むすめ)は大分違います。先づ髪などで申しましても油を多く付ける癖があります。東京の娘は水髪でさらっと致して居りますし、始終髪を洗ひますから毛が大変綺麗で御座いますが、大阪の娘は滅多に髪を洗ふなどと云ふことはありません。三年に一度も洗はぬかと申す風ですから夏向きになりますと、却々(なかなか)臭う御座います。寄席や芝居の様な人込みの中へ入りますと、むっと致します。束髪も大分流行って居りますが、東京の娘の様に一人で結ふ人は極く稀で、大抵は髪結に結せて油をこってり付けます。
この人の語っているのは娘さん一般のことで、女学生に限ったことではないのですが、おおむね傾向は同じだったでしょう。
東京の娘は香水をつけ、大阪の娘は臭かったのか。大げさに書いているのだとは思うのですが、年単位で洗わないのがいたようです。汚ギャルです。あるいは五木寛之です。
もともと日本髪は、連日、髪結いに行く芸者等一部の人たちを除けば、しばらくは結ったままですから、臭いのは当たり前。鬢付け油も臭いが強い。
それを嫌ったこともあって、東京の若い世代では束髪が流行ります。二百三高地髷もその一種です。
「身分制度の消滅と言葉の画一化」に出した写真とここに出した写真を比較してみてください。どっちも絵葉書で、こっちは20世紀初頭のフランスの絵葉書です。両者の時期はほとんど一緒です。
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