松沢呉一のビバノン・ライフ

良妻賢母と貯蓄報国—女言葉の一世紀 60-(松沢呉一) -4,120文字-


大阪娘と東京娘の比較—女言葉の一世紀 59」の続きです。

 

 

 

大皿料理が主

 

vivanon_sentence下の図版は、桜井ちか子著『三百六十五日毎日のお惣菜』(大正六年)の口絵です。長女は女学生っぽい。洋髪にリボンです。妹はかわいくないけど、面白いヤツだと思います。

この本は、年間の全日分の献立を考えてくれている便利な一冊。朝昼晩の1095食分です。家庭料理の本の口絵ですから、贅沢ではないにしても、質素ではない食事風景ってことですが、これは元旦風景かも。

鏡餅や羽子板のような正月らしいものがないので違うかもしれないですが、皆さん、おめかししているようにも見えますし、ふだん女学生は家に帰ったら、リボンはしないんじゃないか。わからないですけど。

味噌汁の椀がないのは、この日は雑煮だからとも解釈できます(父ちゃんが手にしているのは味噌汁の碗かもしれないですが、そうするとご飯の茶碗が足りない)。

かつてメルマガでおせち料理について調べた時に、戦前まで正月は質素であったという結論に至りました。お重のおせち料理が出てくるのは戦後デパートが売り出してからです。輸送手段も保存手段も発達していなかった時代に、海老も鯛も刺身も揃って取り寄せるのは至難です。かずのこのような塩漬けのものは保存できるとして。東京は海の近くですから、揃えようと思ったら揃えられたかもしれないですが、そんな贅沢をする家庭は少なかったはずです。

しかし、この本では、一月二日の昼食は刺身になってます。冬とは言え、冷蔵庫がないのに、年末に買っておくのは厳しいでしょう。さすがに漁師も元旦は休みでしょうから、二日の朝に漁に出て、その日の昼までに魚売りが来るなんてことがあるのかなあ。この本は献立の中からピックアップして、その作り方を簡単に説明していて、刺身は何も説明がないので、この事情は不明です。

この挿絵では、個人皿という発想ではなくて、大皿であることに注目。正月に限らず、昔の日本では大皿料理が一般的でした。武家は個人のお膳でしたから、その流れを汲む家庭では個人皿の料理だった可能性もありますが、庶民においては、ちゃぶ台の上に、芋の煮っ転がしが入った器があり、揚げ出し豆腐の入った器があり、個人仕様はご飯の碗と汁碗だけ。そこにそれぞれが箸を伸ばして食う。

今でも煮っ転がしだったら、そういう食い方をする家庭も多いかと思いますが、それはメインのおかずではなく、メインのおかずは個人皿のことが多いでしょう。

この本にはコロッケも出てきますが、コロッケだったら、家族の人数×2個が大きい皿の上に並べられていて、豆腐も大きな皿の上に二丁くらいあるって感じ。

この絵もそれを示しています。

 

 

晩飯はしるこ

 

vivanon_sentenceこういう本ですから、最新の食い物も入っていて、肉を使った料理も週に一回から十日に一回くらいは出てきます。三食分出ているので、二十食から三十食に一食くらいは肉。今考えると淋しいですけど、本にするくらいで、当時としてはこれでも相当に豪華な食事だろうと思います。

 

 

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