モダンガールは貞操知らず—女言葉の一世紀 72-(松沢呉一) -3,336文字-
「独身主義は人類としての罪悪—女言葉の一世紀 71」の続きです。
結婚と貞操
結婚と貞操は密接に関係していて、女は結婚し、子どもを産んで育てるのが責務であるという考え方から、貞操を守らなければならないと『結婚読本』(昭和十一年)の著者である川崎利太は主張しています。その部分を抜き出してみましょう。
恋する乙女に対する最大の注意は、恋愛の時代に於ては、如何なることがあっても、絶対に貞操を提供するなと云ふことである。尤も先から申述べて居る通り、恋愛は本来性愛のものであるから、最後には性欲を目的として居るとは云ふけれども、然しそれは、恋愛から結婚に迄進展してから云ふべきことであって、所謂単なる恋愛時代には、それは飽迄神秘の殿堂にかくして置くべきものである。
然るに世の男の中には、恋愛中に性欲を要求するのもあり、それなしには真の恋愛と云ぬことは出来ぬとさへ言ふものがある。
然しそんな男は、決して信用することの出来ない不良の徒であって、女は決してそんな男の申出でを聞いてはならぬ。若しそれでなければ、恋愛が無意義だ等と云ふものがあったならば、遠慮なくそれ等の恋愛は破壊した方がよい。
どんな男でも「そんな女なら、妻に持つ事は真っ平だ……」といふ一つの事があります。
其のどんな男にでも妻に持つ事を嫌はれる欠点は、何かといふと、「貞操」観念のない(又はあっても、至って軽々しくこれを取り扱ふ)女であります。
本来は、終生の夫にのみ捧ぐべき大事な貞操、これ故のみ女性としての誇りたる貞操、その宝玉にも優るべき貞操を、至って簡単に他の男性に提供して恥としない、悔ゐもしない。ちょっと恋愛が成立すると先づ第一に直に貞操を提供してしまふ、そしてそれが破れると、又他の男性に移ってこれを提供する。而も、さうかうして幸ひにも夫婦生活をしてもよい様な男性が出来ると、これに、何喰わぬ顔で、其の汚れた傷める貞操をもって嫁入る。而も斯様な女性は仮令、夫を持ってゐても、其の間に他の男性に貞操を提供する事を何と思はない女性であります。
男性から、女性を見た場合、女性として妻とするには不似合いな性癖、欠点はかなり沢山あります。然し、どんな悪い性癖、仕方のない欠点がある女性でも、まだ何処にか長所がありものであります。(略)
然しながら、此の貞操観念の希薄な、又は全然無い……といふ女性のみは、例へ他にどんな長所が多くあらうとも、凡そ男性といふ男性の誰しも、これを、妻には持たうと思ふものではありません。斯様な女性は、男性の享楽の相手には或は歓迎せらるるでありませうが、よしこれと恋愛関係がある者にせよ、正妻とする事は欲しないでありませう。
この時代に行って、「結婚するならヤリマンに限る」という我がヤリマン礼賛論をぶちかましてやりたい。
昔から「自分の感覚は男(女)すべての感覚」「自分の感覚を社会が共有しないといけない」という性的全体主義者がいたのであります。そして、今もいるのであります。
昔の全体主義者も、今の全体主義者たちも、女の貞操を高め、対して売春もヤリマンも否定するわけですけど、昔の全体主義者の方がまだしも論理に破綻がない。女の価値は子どもを産み、育てることにあるのだから、結婚をするのは当たり前。そのために貞操を守らなければならないのも当たり前、という一貫した姿勢です。
こういう人たちが否定した恋愛至上主義を肯定し、「ちょっと恋愛が成立すると先づ第一に直に貞操を提供してしまふ」ような人たちがよくも今なお他者の行動に難癖つけられる資格があると思い上がれるものです。辻褄が合ってない。そういうことは結婚まで処女、童貞だった者だけが言え。
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