松沢呉一のビバノン・ライフ

スウィートガールとデパートガール—女言葉の一世紀 83-(松沢呉一) -3,050文字-

マネキンの登場と人種展示とのつながり—女言葉の一世紀 82」の続きです。

 

 

 

スウィート・ガールは女学校も推奨

 

vivanon_sentenceスウィート・ガールというのは、当時話題になっていた森永の宣伝・販売要員です。いわば森永版マネキンです。それまでは百貨店の店員がお菓子の販売をやっていて、キャンペーンの際には、マネキンの派遣会社から人を雇っていたわけですが、森永は専門的知識をも備え持った販売員を店に派遣することを始めます。

それ自体が画期的だったのと同時に、「〜ガール」というネーミングが流行りの時代に、「スヰート・ガール」と命名して話題作りに成功したってところでしょう。これを契機に、「ミス資生堂」など、各メーカーは同類のスタッフを売り場に派遣するようになります。今も化粧品ではこういう派遣販売員がいますよね。

このスウィート・ガールは、昭和六年から始まって以来大変な人気で、毎年五、六人の採用のところ、千人以上が応募。今のアイドルの公募みたいなもん。

その分、条件が厳しく、三十一条もの採用条件があり、女学校卒業で、処女であることまでが条件になってます。今だったら大問題。今だったら、そんな人材がいないので、処女を条件するようなことはしないわけですが。

初任給は四十円。貢献度を考えると安いですが、これは基本給で、派遣されると手当がつくので、平均百五十円くらいになるとのこと。交通費も制服もストッキングも靴も化粧品も支給ですから、金はそのまま残りそう。これは相当にいい仕事。

ここから女優になったのもいて、女学校も森永に生徒を推奨していたらしい。かつては「うちの学校では、卒業後に働くような下賎な生徒はいません」という態度だったのが、昭和になると、女学校の中には社会進出歓迎の空気も出てきていて、就職の斡旋をするところが増えてきたのであります。

これも一般性はあまりないですが、話題性があるので就職本で取り上げたってところ。

※うちにある雑誌にスウィート・ガールが写真入りで紹介されているものがあったはずですし、森永の社史もあったはずなのですが、見つからないので、「官報」1923年3月7日号より森永ドライミルクの広告。森永乳業の前身である森永練乳が森永製菓から独立したのは1927年(昭和二年)のこと。

 

 

デパートガールが大人気

 

vivanon_sentence女子が働きたくても働ける場所がない。スウィート・ガールやマネキンができるほどの容姿はないし、派手に目立つのは親が許さないのが大多数だったでしょう。なりたくても面接で蹴られたりしましょうし。

そんな中、急速に雇用を提供しつつあったのがデパートメントストアです。

 

 

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