松沢呉一のビバノン・ライフ

独身だった下田歌子も独身は勧めず—女言葉の一世紀 76-(松沢呉一) -3,376文字-

面相の悪いのが教員になった?—女言葉の一世紀 75」の続きです。

 

 

 

なぜ看護婦ではなく、女教員だったのか

 

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結婚しない例、できない例が事実あったがために、教員は老嬢の例にも出されたのでしょうけど、看護婦にだってそういう例は多数あったろうし、看護婦の場合は若くして戦場で亡くなるリスクもあったのですから、そちらの方がなおのこと悲惨だと言われてよさそうです。

しかし、悲惨な例としては独身女教員ばかりが取り上げられて、看護婦を例にしたものを見た記憶がない。ないわけではないでしょうが、数は少ない。

看護婦は女学校を出ていないのも多かったため、お転婆イメージがない。看護婦も大正時代までは束髪が多かったのだと思うのですが、昔は大きなキャップをかぶっているため、よくわかりません。隠れているがゆえにハイカライメージもなかったでしょう。

といったことも理由になったでしょうけど、「看護婦になると老嬢になる」なんて言うと、看護婦になるのがいなくなり、戦地に行くのがいなくなります。処女のまま、あるいは未婚のまま死んでいく人材が必要だった国家としては都合が悪い。

内務省が「看護婦を貶めるな」と圧力をかけずとも、命だって失うかもしれない看護婦はいじりにくかったのではなかろうか。看護婦と軍人がセックスしている明治の春画がうちのどっかにあって、実際、そういうこともあったでしょうが、そういう話も堂々とは公刊物では書けなかったのだろうと思います。春画は公刊物に出せないのは当然として。

その分、「女が独身であることはこうも悲惨」という例として教師が好んで取り上げられたのだろうと想像します。

※『日本赤十字社香川支部病院 記念写真帖』(大正七年)より

 

 

下田歌子の教え

 

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老嬢の悲惨を描いたものには創作が混じっているのだとしても、実際に独身を貫いたことで辛い思いをした人もいたのでしょう。

 

 

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