松沢呉一のビバノン・ライフ

国際会議でも批判された日本の女工環境—女言葉の一世紀 79-(松沢呉一) -3,090文字-

大正から昭和にかけて女の職業は拡大—女言葉の一世紀 78」の続きです。

 

 

 

内閣印刷局の破格の雇用条件

 

vivanon_sentence経済知識社編『現代女子職業読本』(昭和十年)に女工という項目はないのですが、内閣印刷局女子工員という項目が出ています。滝野川に分室があって、ここで多数の女子工員が雇われていました。今も滝野川に国立印刷局があります。私はすでに北区の銭湯はだいたい行っているので、すぐに場所が頭の中の地図に示されます。

これだけが取り上げられていたのは、女工と言っても破格の条件だったためでしょう。

尋常小学校卒でも可なのは他の工場と同じですが、入ってすぐに日給七五銭をもらえます。通常、工員の日給は四十銭くらいなので、その倍くらい。つっても月二十円程度ですからメチャクチャ安いですけど、尋常小学校出でこれはいい条件であり、印刷局では着実に昇給していきます。

いくらかの残業はあっても夜勤はなし。福利厚生も充実していて、掛け金を貯めて、労災のような制度もあり、退職後の年金までもらえます。わずか十五年勤務で生涯年金をもらえるのです。

条件がいいため、辞める人が少なく、また、機械化が進んだためもあって、新規の募集はこの段階ではなし。女子工員(ここでは「女工」という略称を使わないとのこと)は独身で長期勤務している人が多いのだそうです。おそらく繊維関係と違って、技能が必要な工員であり、工場としても熟練者を歓迎するのだろうと思いますし、「結婚をすると休みが多くなり、仕事の能率が悪くなる」とあって、独身の熟練工が好ましい。

以降見ていくように、この時代に長期で働ける女の仕事は相当に少なかった中、これは異例の仕事ですが、独身のままは歓迎されるとして、結婚すると居心地が悪くなったりしたのかも。

※小林五郎著『赤旗勝つか?  我が国労働組合運動の暴露』(昭和五年)によると、昭和三年、内閣印刷局で労働争議が勃発し、主要人物三十人以上が解雇されて終結。この著者は新聞記者で、労働運動を好意的にとらえていたのですが、その実情に失望。この内閣印刷局の争議も、外部の労働組合が入り込んで、騒動、混乱を起こすためだけになされたものとして批判しています。

 

 

女工か娼妓になるしかない層

 

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ここで見逃してはいけないのは、こういったガイドで取り上げられなくなってきたからと言って、女工という仕事が消えたはずはなく、従事する人が消えたわけではないってことです。当たり前ですが。

 

 

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