松沢呉一のビバノン・ライフ

大正時代の脇毛処理と水着の関係-毛から世界を見る 49- (松沢呉一) -2,493文字-

初めて生で見た陰毛[7]-毛から世界を見る 48」の続きです。内容はつながってないですが。

 

 

 

女学生の脇毛処理

 

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日本では大正時代には脇毛を剃り始めていたという話を前に書きました。欧米に比しても遜色がない早さです。なぜ脇毛処理は早かったのに、陰毛は遅れたのか。あるいは、なぜ陰毛には鈍感なのに、脇毛には敏感だったのか。

脇毛の処理は洋装が浸透し始めたこととリンクをしていると書いてきたわけですが、女学生がいつ脇毛を剃り始めたのかの参考になる写真を東京女子高等師範学校附属高等女学校編『創立五十年』(昭和七年)に見つけました。

 

 

 

 

この写真は雄弁に毛の事情を語っていて、それを見逃す私ではありません。ハミ毛を見つけたんじゃないですからね。

この写真の中にたぶん7名いて、まず右端にいる2名。

 

 

帽子をかぶってます。当時の女学生は帽子をよくかぶっていて、登下校時の帽子の指定がなされていた女学校もあります。「和装から洋装」「袴からセーラー服」「束髪から洋髪」という変化とともに、「リボンから帽子」です。

続いて飛び込み台の階段のところにいる生徒さん。

 

 

 

 

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