アートにおける脇毛表現史[1]-毛から世界を見る 50- (松沢呉一) -2,209文字-
内容はつながってませんが、「大正時代の脇毛処理と水着の関係-毛から世界を見る 49」の続きです。
エゴン・シーレの脇毛
収蔵品のほとんどを見たのではないかというくらいにメトロポリタン美術館を愛用している私ですが、気になることを発見しました。
まずは何点か「ビバノン」で使用してきたエゴン・シーレを見ていただきましょう。
Egon Schiele「Standing Nude in Black Stockings」
1917年の作品です。
以下は1914年の作品。
※Egon Schiele「Standing Nude with Orange Drapery」
陰毛も脇毛もクルクルと円を描いて縮れを表現しております。
以下は1918年の作品。
Egon Schiele「Seated Nude in Shoes and Stockings」
上に挙げていない腕からはみ出した脇毛を描いています。短くカットしていない限り、脇毛はこうなりますが、ここをちゃんと描く画家は決して多くありません。肉体はデフォルメしていても、こういうところはリアルです。
顔からすると、どれも別のモデルかと思えます。
モディリアーニの脇毛
続いてモディリアーニ。
Amedeo Modigliani「Reclining Nude」
これも1917年の作品。毛がふたつの山に別れています。これもリアル。脇毛にも個性があって、毛の生える方向が上下に分かれているため、濃くない人はこうなります。
もうひとつ、知らん人の作品。
Walter Richard Sickert「Reclining Nude (Thin Adeline)」
これは少し時代が遡って1906年の作品です。
(残り 1607文字/全文: 2426文字)
この記事の続きは会員限定です。入会をご検討の方は「ウェブマガジンのご案内」をクリックして内容をご確認ください。
ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。
会員の方は、ログインしてください。
外部サービスアカウントでログイン
Twitterログイン機能終了のお知らせ
Facebookログイン機能終了のお知らせ