松沢呉一のビバノン・ライフ

エレベーター・ガールとエスカレーター・ガール—女言葉の一世紀 85-(松沢呉一) -3,355文字-

結婚第一主義の小林一三と売春するデパートガール—女言葉の一世紀 84」の続きです。

 

 

 

エレベーター・ガールの始まり

 

vivanon_sentence先日、江戸川区の船堀に初めて行きました。駅前に大きなタワーがあるのを見つけ、「あれはなんだろう。消防署にしては高過ぎだろ」と思って行ってみたら、タワーホール船堀の展望台でした。

バカは高いところに昇りたがりますから、昇りましたさ。雨が降り出す直前の曇り空だったのですが、島のように浮き上がった新宿の高層ビルの光が見えました。晴れている日にまた行こ。

この展望台へのエレベーターにはエレベーター・ガールがいて、短い時間ですけど、案内をしてくれました。最近、デパートでもエレベーター・ガールがいないことが増えていたので新鮮でした。

はて、エレベーター・ガールっていつからいるのだろう。大正時代にはエレベーターは普及しつつあったため、関東大震災のあと、高層化が進んだデパートかもしれないと思って、うちに帰ってすぐに国会図書館で検索をしてみました

国会図書館で検索した範囲で、最初に「エレベーター・ガール」という言葉が出てくるのは女子大学講義編輯部編『職業別学校案内と婦人職業指導』(昭和四年)です。タイトルでわかるように、ここまで取り上げてきたのと同種の女子向け就職案内の本です。

 

 

客に接するには何といっても婦人が一等いいさうです。かういふ見地から上野の松坂屋では新装開店と同時にエレベーター・ガールを使用して、非常によい結果をあげて居ります。この仕事などは簡単で早くから婦人の職業として選ばれなければならないものでした。近き将来には男子を駆逐して、エレベーター・ガールが独専することでせう。現在では同店に十五、六人だけですが、今後増員するさうです。

 

 

松坂屋上野店の新装開店はこの本が出た年のことです。この記述からすると、それまでエレベーター・ボーイだったのが、松坂屋が初めてエレベーター・ガールを起用したようです。当初は「機械の操作」という意味合いが強く、危険なものと見なされていたために男の仕事だと認識されたのだろうと推測します。

松坂屋のサイトにも出てました。

 

 

エレベーターガールを登場させたのは上野店です。関東大震災後の新店舗が開店した1929年(昭和4年)4月1日のことでした。「昇降機ガールが日本にも出来た 上野松坂屋の新館で初試み 婦人職業の新進出」との見出しが新聞に躍りました。

 

 

新聞では「昇降機ガール」だったのか。この頃、まだエレベーターを設置するような高いビルは少なく、エレベーターという名称に馴染みのない人たちがいたのでしょう。

※船堀駅のホームから見えるタワーホール船堀の展望台

 

 

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