松沢呉一のビバノン・ライフ

アートにおける脇毛表現史[3]-毛から世界を見る 52- (松沢呉一) -2,274文字-

アートにおける脇毛表現史[2]-毛から世界を見る 51」の続きです。

 

 

 

キリストの脇毛

 

vivanon_sentenceメタロポリタン美術館でChristを検索すると4,000件以上ヒットしますが、キリスト自身を描いたのではないものもひっかかりますし、図像が公開されていないものもあって、なんらかの形でキリストが登場するのは半分以下かと思います。

キリストが描かれていても、マリアが赤ん坊のキリストを抱いているようなものも多数あり、脇が見えやすい鞭打ち、ないしは磔のシーンを描いたものは100点程度かと思われます。カウントまではしていないので勘です。

「キリストのサイズが小さ過ぎて、脇の様子がわからないもの」「毛は描かれていないのだけれども、小さいラフな絵なので省略した可能性があるもの」「脇が隠れて判然としないもの」などを除くと、脇が確認できるのは、せいぜい十数点程度です。

 

まず前にも「ビバノン」で使用しているこれ。

 

Master of the Berswordt Altar「The Flagellation」

 

1400年とあります。キリストの姿が、今我々がイメージするようなものに統一されていくのは、15世紀から16世紀にかけてだと思われて、それまでは必ずしも長髪でヒゲがボーボーではない。丁寧な絵ではないため、はっきりとは言えないながら、脇毛は生えていないと思われます。

 

以下はデューラーによる1508年の作品。

 

Albrecht Dürer「Christ on the Cross」

 

これは今のキリスト・イメージに近い。脇毛がありません。

 

 

next_vivanon

(残り 1716文字/全文: 2428文字)

ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。

ウェブマガジンのご案内

会員の方は、ログインしてください。

« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ