松沢呉一のビバノン・ライフ

共働きに関する誤解—女言葉の一世紀 90-(松沢呉一) -3,366文字-

母性の保護と貞操の管理—女言葉の一世紀 89」の続きです。

 

 

 

無産階級の妻

 

vivanon_sentence続いて沖島哲二郎, 水戸純三著『生きんとするものの力』(大正十二年)の「婦人解放運動」の章より「無産者の妻」の説明です。

 

 

無産者の妻は家持女房、或は共稼女房(世話女房)といって、多少世間味を帯びて居るが、其実家庭奴隷たるか、職業婦人兼家庭奴隷で、花にも月にも因縁が遠く、毎月末は安宅が関だ。真個(ほんと)に米の難に恋を忘るるのである。

然し、恁した袖に涙のかかる時、新しい享楽と、慰安を創造する。恁(こう)した人々の真剣な創造から、生活改善は生まれるのであるから面白い。

 

 

一般に「封建社会においては女は家に閉じ込められ、家事と育児を担当して、男は外に働きに出た。近代になってから、女も外に働きに出るようになり、とくに戦後、共働きが増えた」と直線上に理解している人たちが多いのではないかと思いますが、現実は大きく違います。

前に書いたように、江戸時代であろうと明治時代であろうと、庶民の多くは妻も働いてました。「専業主婦率がもっとも多くなるのは戦後のこと」という山田創平説に照らしても、それまでは夫婦共働きが普通になされていたってことです。

たしかに武家や豪商では女は家を守るのが責務とされていたでしょうが、それ以外はほとんどが共働きなのです。

※東北芸術工科大学東北文化研究センターより「奥羽六県共進会 第一会場千歳館売店」 本文にあんまり関係ないですが、先日チラッと触れた西洋前掛をしているので、参考までに出しておきます。時代によっても違いそうですが、カフェーの女給の前掛けも西洋前掛けの方が多かったのではなかろうか。もうひとつこの絵葉書で注目すべきは提灯です。私がビワ型と呼んでいるタイプで、ベトナムなど東南アジアの照明器具でよく見られます。しかし、ここまで下をすぼめている提灯は国内ではわりと珍しい。どうでもいいっすかね。

 

 

庶民のほとんどは共働きであった

 

vivanon_sentence農業であれば夫婦で同じ作業をしたり、漁業であれば仕事の内容は違っても、同じ海で作業を分担をする。男は沖に出て、妻は海女として働く。

商店では主人と主婦として働く(この場合の「主婦」は女将の意味です。現在の「主婦」は良妻賢母が強化されて以降の意味合いが強く、「店主」の意味は完全に消えてしまっています。この言葉の変化こそが、妻の役割の変化そのものを象徴していましょう。これについてはずっと先に改めて見ていきます)。

工員の妻もまた工員として働く。ここまで見てきたように、工員の賃金は安いですから、そうしなけれぱ食っていけない。工場によって男女の雇用が違い、同じ工場内であっても仕事の内容が違いますから、同じ工場の同じ現場で働くことはそれほど多くなかったでしょうけど、どちらも工員として働く。

婦人有業率は数回あとで確認しますが、一般大衆の婦人有業率は驚くほど高い。妻が働かなくて済むほどの経済的余裕はなかったのです。働いたところで月末は支払いに難渋して、米さえなくなる。

共稼ぎは無産階級の特徴であり、だからこそ富裕層は女が働くことを軽蔑し、自ら八百屋で買物をしていることさえも隠そうとしました。それは女中のやることです。富裕層の妻は百貨店で呉服や化粧品を買い、貞操を守るのが職務。子どもを産むことと、それに付随して、貞操を守ることがシャドウワークです。

働かないことを美徳として、優雅な生活をアピールする言葉として発展したのが女言葉であり、貧困層は男も女も限りなく近い言葉遣いをしていたことはすでに見た通り。煙管を吸って「俺はよ」と言っていたのが庶民の女。

※沖島哲二郎, 水戸純三著『生きんとするものの力』(大正十二年)の口絵

 

 

平塚らいてうが一年で八人の女中を雇えた理由

 

vivanon_sentence絶望的な貧富の差を背景にして、富裕層は安価に女中を雇えました。

 

 

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