松沢呉一のビバノン・ライフ

東京市による画期的な婦人職業調査 2—女言葉の一世紀 95-(松沢呉一) -3,201文字-

東京市による画期的な婦人職業調査 1—女言葉の一世紀 94」の続きです。

 

 

 

 

『小学校卒業の女性のための女子就職の手引』の間違いを修正

 

vivanon_sentence東京市編『婦人職業戦線の展望』(昭和六年)には女子有業者数の変化も出ていて、『小学校卒業の女性のための女子就職の手引』の著者は数字を読み間違えています。著者は女学校を出てないのかな(女が書いている設定になっています)。

小学校卒業の女性のための女子就職の手引』では、大正九年の時点で「日本中で九十万九千六百二十八人で、ざっと百万人近くの職業婦人がゐた」と書いていますが、大正九年の女子有業者数は全国で9,701,335名です。数字も違うし、桁が違ってます。

この調査は国勢調査によるものですから、すべての国民が対象です。全国の女子総人口27,918,868人のうち、女子に占める有業者率は35パーセントです。子どもや老人を含めた女子の三分の一が職業を持っていたのは驚きです。

対して同年の東京市の女子有業者数は137,373人。13.7パーセントですから、大きく差がついています。

ここでの職業は「社会進出」とは無関係の「家業の手伝い」が入っていることに留意のこと。年寄りでも農業等では家業手伝いはやっていたでしょうから、数字が高くなる。

 

 

東京の女子有業率の低さは、明治以降、専業主婦層が増えたことを示唆するものであり、その娘たちも就職することなく嫁入りする層が多かったのです。資本主義の浸透による男女の役割の変化を東京が真っ先に実現していたことがよくわかる。

この大きな開きは職種を見るとよく理解できます。全国では女子が就いている職業の65.75パーセントが農業なのです。妻であれ、娘であれ、家業の手伝いってことです。対して東京では農業従事は0.9パーセントしかいません。全国平均から都市部を除いた数字はさらにさらに高くなる。

実家が農家の娘は女工として働くことも多いわけですから、農家の娘ほど有業率が高くなる。

この農業人口が減り、勤め人の妻が増えたことによって、専業主婦率は戦後上昇していくことになります。と同時に、女が従わなければならない新しい時代の「性の規範」も全国に浸透していきます。

 

 

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