松沢呉一のビバノン・ライフ

日本での実現性を考える—スカーレットロード[追加 2]- (松沢呉一) -2,228文字-

「スカーレットロード」シリーズとはまた別の切り口の話です。

この回は「こんな細かな話をしてもしょうがないか」と思ってボツにしました。書いてもすぐにボツにする性格です。

しかし、障害者団体の人から「どうしてオーストラリアの映画をもって来るのか。どうして日本でドキュメンタリーを作らないのか」という批判がありまして、その回答になっていようかと思うので、復活させることにしました。

そもそもこの批判はまったく意味がなくて、「さまざまな国の映画が上映されているのに、どうしてセックスワークについてだけは海外のものを上映してはいけないのか」「どうしてあなた方は障害者の性についてのドキュメンタリーを制作しようとしないのか」「自分たちができないのであれば、せめて海外の障害者を描いたドキュメンタリーの上映をどうしてしないのか」と問い返せばおしまいでしょう。

自分たちはなぜそれができていないのかを考えれば、セックスワーカーにおいても容易ではないことは理解できようかと思いますし、制作することに比すれば経費も手間もさほどかからない海外のものを紹介するのは自然な流れです。実際、私はこの映画でさまざま考えるところもあり、得るところもありました。

一歩一歩進めていかないと何も始まらず、他人に文句をつけて終わります。

もちろん、セックスワーカーにせよ、障害者にせよ、自分らの表現を生み出すのが理想ですが、そんな簡単な話のわけがなく、言われるまでもなく「日本で同様の映画が可能か否か」はとっくに検討済みです。

 

 

 

日本で同じようなドキュメンタリーが作れるのかどうか

 

vivanon_sentence昨年、記録映画を撮り続けている知人と「セックスワーカーの権利運動をとらえたドキュメンタリー映画は撮れないだろうか」という話をしたことがあります。

この時も、近いところで言えば台湾のCOSWASのように、抗議行動や街頭での示威活動、選挙運動といった見た目にわかりやすい活動をしている団体を撮ることが真っ先に浮かんでしまいました。文字と違って映像ではどうしてもキャッチーなシーンが欲しくなります。

そこに日本のSWASHをからめるとしたら、台湾に行ってCOSWASに合流するとか、国際会議で交流するところを撮るしかなく、国内の撮影だけでSWASHの映画を成立させることは難しい。SWASHという団体の活動だけでは地味過ぎるのです。講座、ミーティング、資料作りの映像が延々と続いてもね。かといって、ドキュメンタリーのために派手に抗議行動をしたり、示威行動をするのは本末転倒。

団体のドキュメンタリーが無理なら、個人をクローズアップする方法になりますが、これも難しい。たとえば日本で「スカーレットロード」と同じようなドキュメンタリーを作れるのかどうかを考えてみましょう。

セックスワーカーでアクティビストである主人公と、同じ活動をしている仲間たち、障害のある複数の客、恋人、母親、友人、友人の子どもまでが出るドキュメンタリーを日本で撮ることは可能か。

 

 

 

そのまんまはどう考えても不可能です。一人として、この条件をすべて満たせる人は日本にいないと思います。

Decriminalise Sex Work, New South Wales」より

 

 

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