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松沢呉一のビバノン・ライフ

セックスワークサミット出演を断った事情 2—ホワイトハンズの何が問題か 2-(松沢呉一) -3,792文字-

2017年11月13日20時47分 カテゴリ:セックスワークを考える連載ホワイトハンズの何が問題か身体障害者


セックスワークサミット出演を断った事情 1—ホワイトハンズの何が問題か 1」の続きです。

前回の訂正です。私と要友紀子はホワイトハンズのことを最近まで話していなかったと前回書きましたが、違っていたみたい。

2012年4月頃、私がホワイトハンズからの誘いを断ったあとに、要友紀子からホワイトハンズのことを相談されて、「ほっとけばいい。若いのが出てきた時に足を引っ張るのはよくない」と意見したらしい。要友紀子がこれまでおおっぴらに批判をしなかったのは、そのことも影響しているようなので、訂正するとともにお詫びします。

まったく記憶にないのですが、いかにもそういうことを私は言いそうです。やり方の違い、考え方の違いをもって否定するより、関与しないで、自分らは自分らのやり方を貫けばいいと今も考えているところがあります。とくに若い世代は思い込みだけで暴走しがちですが、気づくヤツはそのうち気づきますから、長い目で見た方がいい。

なにしろ覚えていないので自信はないのですが、その段階では坂爪氏が「射精介護」をネタにこうも風呂敷を広げるとは思っておらず、それが社会にこうも受け入れられるとは予想していなかったのだろうと自分の考えていたことを推測します。こっちは寛大でも、あっちは尊大であり、批判を受け入れない人物だともわかってませんでした。

「障害学会」でも、「ほっといてもそのうち消える」という見方をする人が多く、それが放置することになった理由だと聞いています。しかし、本人が気づくことを拒否し、それを受け入れる人々やメディアがこうも出てきている以上、ほっとくわけにはいかないという意識が今回の「障害学会」でのシンポジウムになったと言ってよさそうです。

しかし、私は以下に書いている理由から、あの時点では批判しようにもできなかったのだと思います。敗北感で打ちひしがれた状態が続いてましたから。

 

 

「障害者とセックスワーク」というテーマの微妙さ

 

vivanon_sentenceでは、どこにホワイトハンズとの考え方の違いを私は感じたのか。

セックスワークに対する社会の見方を変える方法として、私であれば否定する人たちを正面から批判することを選択します。その否定論のどこがどう間違っているのか、その否定論がどういう効果をもたらしているかを指摘します。『売る売らないはワタシが決める』はその典型。

しかし、彼はこの方法には批判的です。彼はこの社会が認められる部分を抜き出すことで、そこを認めさせることを考える。それが障害者です。

uruu私は彼のその考え方はいくつかの点で問題があると考えましたし、今もそう考えています。社会通念に合致する部分を認めさせたところで全体への影響はない。セックスワークを否定する道徳、差別意識、誤解はなんら変わらず残るのだし、場合によってはそれを強化します。

その際に、障害者を利用することにも私は大いに抵抗があります。この抵抗については「無知・無思慮を武器にしないために—スカーレットロード[8]」にも書きました。本当は簡単なはずがないのに、「障害者とセックスワーク」という組み合わせは、答えを簡単に見出せるような錯覚を生じさせるのです。そこが怖い。

「障害者だってセックスしたいよね。でも、なかなかしてくれる相手がいないよね。だったら、金を払うしかないよね。セックスワークって必要だよね」というわかりやすい思考の流れです。

これを成立させているのは「障害者はかわいそうな人たち」という社会通念であり、「かわいそうな人のためになることなら認めよう」になってしまう。そこに乗っかることに抵抗があります。

なぜならその社会通念そのものがセックスワークを否定する根幹にあるものとほとんど等しいからです。極端な言い方になりますが、「社会の底辺にいる哀れな女たちでも、かわいそうな障害者のために役に立つなら存在を認めてやろう」ってことでしょう。

そういった社会通念におもねる形で認められることをまずやるという坂爪氏の考え方からすると、私のようにストレートにセックスワーク肯定をする存在を関わらせるのはおかしい。その点を挙げて私は断ったわけです。

 

 

なぜ当時は批判ができなかったのか

 

vivanon_sentenceしかしながら、その選択をする人を私は批判もできないところがありました。ただ社会通念におもねるだけでなく、障害者やセックスワーカーにとってもプラスになる方法があるのかもしれないし、議論の端緒になるかもしれない。だったら、彼は彼で頑張ればいい。

こういう方法を批判しきれないのは、私自身の敗北感もあります。2000年前後に盛んにセックスワーク肯定の議論を仕掛けながららも反応は薄い。『売る売らないはワタシが決める』を出したあと、『ワタシが決めた』と『ワタシが決めた 2』を出し、インターネットで大量の文章を書いてましたが、そういった内容の原稿を依頼されることはほとんどない。需要がないのです。

そうこうするうちに、石原都政による浄化作戦が始まり、風俗ライターも続けられなくなりました。

「おまえのやり方ではダメだ」と言われると、返す言葉がありません。

彼のやり方には批判的であっても、批判する資格がすでにない。どんなにそれがあざとい方法であろうとも、私には納得できない方法であろうとも、批判はしにくくて、ただ私は関わらないだけ。

 

 

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