松沢呉一のビバノン・ライフ

「ブス」といじめられている子にかける言葉—半世紀以上生きてきて初めて知ったこと 2- (松沢呉一) -3,372文字-

半世紀以上生きてきて初めて知ったこと」は一回で終わるつもりだったのですが、まだ続きます。

 

 

 

かわいくない子どもにかわいくないことを教えるべきか

 

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昨日、山手線に乗ったら、私のすぐ前に赤ん坊を抱えたお母さんがいました。お母さんは背をこちらに向けていて、赤ん坊の顔がこっちを見ています。男の子です。私の顔をジッと見てます。

「ガンつけてんのか」と思って睨み返しました。前に赤ん坊を睨んだら泣かれたことがあるのですが、この子はジッとこっちを見たままです。気が強くてよし。

仲良くしたいのかと思って、手のひらを返して、ニコッと笑いかけたのですが、全然笑いを返しません。媚びない性格もよし。

顔は全然かわいくなく、チンピラっぽいのですが、私はこういう愛想のない赤ん坊が好きです。おそらくあんまり手がかからない子でしょう。

こういう子でも「おしなべて赤ん坊はかわいい」と考える人たちは「かわいい」と言うことになるのでしょうが、その評価はおかしいと思うな。「超然としていていい子」「不遜ないい子」と評するのが適切です。

そもそも「かわいい」という言葉の中味が広く、なんでもかんでも「かわいい」と評することに問題がありそうです。

※私はスーパーが大好きなので、大阪でも自転車に乗りながら、スーパーを見るといちいち視察していたのですが、スーパー玉出にやたらと出くわし、三軒見たところで視察を打ち止めにしました。どの店舗も品揃えは一緒でしたから。

 

 

なにもかもを「かわいい」とする問題

 

vivanon_sentence小さくてかわいいことと、美醜としてかわいいことが同じ言葉のために、私は前者の意味で赤ん坊を「かわいい」と評している人たちがいることを理解できてませんでした。私は人間の赤ん坊をそれだけで無条件にかわいいと思っていないってことでもあります。実際、私は見た目がかわいい赤ん坊しかかわいいと思えないからな。昨日見かけた子は全然かわいくないけど、いい子です。

なんでもかんでも「かわいい」と言ってしまう昨今の若者は語彙が少ないと嘆かれるわけですが、大人も一緒です。

もともと「かわいい」という言葉は小さくてかわいいということなのだから、そのように使うのは間違っていないわけですが、この混乱を是正するために、これからは「小さくてかわいい」の意味はただ「小さい」と言えばいいのではなかろうか。

「うわー、この赤ちゃん小さい」

「ホントだ、小さい」

「目も小さい」

「鼻も小さい」

「口も小さい」

「手も小さい」

くどい。誰か一人が代表して「小さい」と一言言えばいいんじゃないかな。

※大阪のスーパーBiS。系列店にBiSHがあります。噓です。でも、こっちもiが小文字です。BiSはこっからとったんかな。

 

 

ブスと言われて悩んでいる女子に対する言葉

 

vivanon_sentence人間の赤ん坊はハムスターと同じか—半世紀以上生きてきて初めて知ったことに書いた大阪府立大学のHさんとの会話を私は以下のようにまとめました。

 

 

このあと少し内容が変わってさらに話は続いたのですが、そちらはまた別テーマになりそうだし、長くもなるので省略。

 

 

そしたら本人がコメント欄にこう書いてきました

 

 

「ブス、ブス」と言われて悩み相談に来た少女に、松沢さんは何て言うんやったっけ?

 

 

私はこう答えました

 

 

「たしかに私から見てもブスだ。しかし、人間は見た目だけで決定するのではない。今日から毎日実験をすれば、いつか立派な科学者になれる」と答えるとあの時話した通り。小学生くらいになればある程度才能ってもんも見えてくるので、「科学者」「経営者」「政治家」「芸術家」など、それに応じて未来を指導。

 

 

赤ん坊に対する「かわいい」とはまたちょっと違う問題ですけど、これはこれで大事なテーマです。

「ブス」という言葉は強過ぎるかもしれないので、「私から見てもかわいくない」と言い換えた方がこの問題を冷静に考えられそうです。

Hさんは私のこの回答がひどいと言いますが、私は今もこの答えは完璧だと自分では信じています。世界の教育者や親たちに模範解答として伝えたい。

その場では「かわいいか否かは人によっても違う」「今はかわいくないけど、将来はどうかわからない」といった前置もつけていたのですが、そんなごまかしはいらんな。

※「アドボケーター講座」を抜け出して観に行っていた「地車in大阪城」。こういう男の子らはおしなべてかわいいと思えます。手前は女子です。ヤンキー系が多くて、ヤンキー系女子もかわいい。

 

 

女も男と同じ程度には顔ではない時代

 

vivanon_sentence私の回答は「女の一生は美醜で決定する」という考え方からすると残酷でしょう。でも、その考え方自体が間違ってます。

女言葉の一世紀」シリーズで確認してきたように、「女は結婚がすべて」の時代が続きました。それまでの「親同士が決める結婚」では、親の都合が優先されたため、見た目の比重は低かったわけですが、「新思潮」によって両者の意思が重んじられる時代に入ると、美醜が格段と重みを増します。

 

 

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