松沢呉一のビバノン・ライフ

フロッピーディスクを発明したのはIBM—ドクター中松という珍発明[4]-[ビバノン循環湯 350] (松沢呉一) -6,131文字-

発明件数にはなんの根拠もない—ドクター中松という珍発明[3]」の続きです。

 

 

 

十年以上変わらない発明件数

 

vivanon_sentenceもう気づいた方もいようが、実はここ十年以上、2,360件という数字が全然変わらない。この数字が出てくる最も古い資料は、私が調べた範囲では、1980年9月6日の「毎日新聞」の「ひと」の欄である。ここから、この人はひとつも発明をしていないことになる。ノストラダムスエンジン、エネレックス、といったものは発明ではないらしい。

発明サスペンス 3×の人生』の裏表紙にあるプロフィールには、「五倍入る「ドクター中松パター」、あたまの働きを欲するマシン「ドクター中松ブレンチェア」等々発明件数2,360件」と書かれている。

「ドクター中松パター」は1982年、「ドクター中松ブレンチェア」は1983年の発明だ。とすると、この十数年というもの、新しい発明をすると、その分、過去の発明を発明から除外しているとしか思えない。

まどろっこしい書き方をするのはやめよう。この数字は、ドクター中松という人物を「発明」するために作られたものでしかなく、根拠ある数字ではないのだ。さもなければ、こうも自己顕示欲の強い人が、発明品のリストを作っていないわけがない。

ドクター中松は、「ポパイ」のインタビューで、「都知事選出馬」も「テレビのバラエティ番組への出演」も発明と言っている。他に「笑いを発明する」「本を出すのも発明」といった発言をしている。要するに何でもいいのである。

本人は「スジ・ピカ・イキ」を満たさなくてはならないと言っていて、これが発明の条件ということになるが、こんなもん、どうにだって定義できる。

私が一回一回のオナニーを発明と定義すれば、私は軽く中松氏を越えられるし、エジソンも越えられる。オナニーの妄想は毎日違うのだから、ひとつひとつをオナニー妄想の発明とすればよいのである。

何故、わざわざこのような根拠なき数字を出す必要があったのだろう。この答えは実に簡単。

ドクター中松の特許数を調べるのは、金をかけてデータバンクから引き出すか、特許庁で時間を潰すかすればできるのだが、これに関しても、すでに調べた人がいるので、「と学会」の藤倉珊氏からお借りしたデータを利用させていただく。

1948年から1991年までで、ドクター中松は193件の特許を得ている。これ以降も増えているし、戦前から特許は取得していたようではあるのだが(戦前のものは出願者索引がないため、特許公報をすべて自分で調べなければならず、ひとつの特許を探すだけでも三日はかかると特許庁の人に言われたので調査をあきらめた)、それを加えたところで、日本一にはなれない。

個人で取得した特許数のランクは特許庁でも作っていないのだが、特許庁の職員は「伴五紀さんの方が多いでしょうね」と教えてくれた。藤倉氏に借りた資料によれば、伴氏の特許数は、同じく1948年から1991年までで389件に達しており、また石川尭という人物も、277件の特許を持っている。この他にもいるのかもしれないが、現時点でわかっている範囲でも、ドクター中松は日本国内3位でしかない。

 

 

発明業界で無視されているのはなぜ?

 

vivanon_sentence先日、1961年(昭和36年)に特許新聞社から出た『日本発明家伝』という非売品の本を入手した(特許新聞社は日本特許新聞社となったようだが、現存はしていないよう)。「特許法施行75周年」を記念し、特許庁の後援で作られた、B5で千ページを越す大著だ。

ここには発明により、戦後、国家表彰(褒賞)を受けた発明家250名の伝記が書かれており、その発明の範囲は薬品、機械、農器具、事務用品、家庭用品といったように、あらゆるジャンルに及び、豊田織機、ナイロン、謄写版、ビタミンB1の製造のような世界的発明だけでなく、信号保安装置や万年スタンプ台の発明(スタンプ台の発明者はシャチハタの創立者である)、カメラや自動シャッター、農機具、ファスナーの改良といった身近な発明品も含まれている(ファスナーの改良者はYKKの創立者の吉田忠雄)。

褒賞条例に定められた表彰の条件の中に、「学術芸術上の発明改良創作に関し事績著名なる者」というものがあり、特許や実用新案をとっている必要はない。この条項によって小説家や画家が受賞することもあるように、実用的な発明・改良・創作である必要もないのだ。

これが出た時点でも、ドクター中松は多くの発明をしたことになっているとはいえ、褒賞を受けるためには、評価が定まる期間が必要だから、いくらすごい発明をしていようと、ドクター中松がこの本に出ていないことはおかしくはない。

しかし、問題は、すぐれた発明を為した人間には、褒賞が授与される事実だ。私はこの本で初めてそのことを知った。この本に出ている人の中には、二十歳程度しかドクター中松と歳が違わない人も何人か出ており、この人達よりもすごい発明家であるなら、この本が出てから三十年以上経った現時点では、とっくにドクター中松は褒賞を受けていなければならないはずだ。

こういった国の選定を私は重んじる気はさらさらないが、発明に関しては客観的判断ができやすいのだから、ひとつの目安にはなろうし、肩書好き、権威好きのドクター中松の価値観としては、当然褒賞は大きな目標であるに違いない。ところが、政府は現時点まで、ドクター中松を優れた日本の発明家に入れていない(この本が出てから、褒賞受賞者の数は3倍くらいになっているはずだから、750位にも入れていないことになる)。

褒賞は寄付でももらえるのだが、日本国内では、寄付でもらったことがモロバレになってしまうために、名誉市民や記念日に金を使った方がいいと判断したのだろう。正しい。

こうして、世界の中松を「発明」するためには、発明件数なるあいまいなものを持ち出さざるを得なかったというわけだ。しかし、デタラメならデタラメで、毎年、少しずつ、件数を増やすくらいの細やかさが欲しかった。今後は、毎年増やしていくことを期待したい(追記参照)。

 

 

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