タイトルが誤解を生じさせた可能性—ドキュメンタリー映画「売買ボーイズ」をめぐって[2]-(松沢呉一) -2,826文字-
「売り専ボーイという仕事—映画「売買ボーイズ」をめぐって[1]」の続きです。
「体を売る」という表現について
TOKYO AIDS WEEKS 2017でドキュメンタリー映画「売買ボーイズ」が上映されたあと、トークのパートで、やはり米国の話だったと思いますが、「体を売る」という表現についての批判が出ていたとも語られていました。
「体を売る」「女を買う」といった表現については20年くらい前から私も繰り返し取り上げてきています。
この映画では、登場する売り専ボーイたち自身が「体を売る」「自分は商品である」といった言葉を口にしています。
議論の場だったり、研究論文やそれに近い文章だったりではこういった言葉は使わない方がいいのですが、私は、個人が個人の感覚で語る時に出てくることについてはさほど気にならない。その個人がそう感じているのだろうなというだけ。
そのため、インタビューでその言葉が出てきた時も、本人の言葉としてそのままにすることが多いかと思います。
「売買ボーイズ」でも、その人たち個人の感覚ですから、それを観ても、私はスルーです。
しかし、この言葉を個人の言葉だからと映画にそのまま出していることについて批判する人たちもいることも理解できます。おそらく登場人物の言葉遣いに留まらない内容を含んでいて、これは映画のミスであり、避けられたことだったのではないか。
Boys For Saleというタイトルが招く誤解
英タイトルは「Boys For Sale」 です。映画でもクレジットされていたようですが、私は家に帰って確かめた映画のサイトのURLで最初に気づきまました。
日本語タイトルは「売買」という言葉が「バイバイ」に通じる面白味を活かしたのでしょうし、日本語で「売買+ボーイズ」という組み合わせだと、「(性を)売買する少年たち」に思えます。「ボーイズを売買する」という意味もあり得ますど、その意味に限定して受け取る人は少ないでしょう。
対して「Boys For Sale」だと、「売り物の少年」という意味にとらえられるはず。これでは少年の人身売買です。事実、この言葉を検索すると、過去にそのような意味で使用されている例があります。
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