松沢呉一のビバノン・ライフ

思い出のない特別な存在—南智子インタビュー予告編-(松沢呉一) -3,213文字-

 

今も声が聞こえてくる

 

vivanon_sentence11月30日に盟友・南智子が亡くなりました。

Facebookに書いたように(友達限定)、最後のコンタクトは一昨年の電話だったと思います。その電話で彼女の親友が亡くなったことを聞きました。その親友もまた癌であり、南さん自身、相当にダメージを受けている様子でした。この頃には自分の身体の異変に気づいていたはずですが、親友の死によって、いよいよ病院に行くのが怖くなったようです。

この電話のことは内容が内容だけによく覚えているのですが、最後に会ったのがいつだったのかは記憶になく、おそらくその5年も6年も前だと思います。

長らく会っていないと、存在しなくなったことの実感が薄く、悲しみも湧かなかったりするのですが、南智子の死はストレートな悲しみとはまた違う虚脱感みたいなものをもたらしました。私にとって彼女の存在はあまりに大きかったのです。

インタビューを読み返して、その存在の大きさを確認したのですが、かといって、それを糸口にして、次から次と思い出が甦ってくるなんてこともなく、いいも悪いも、彼女と私の間にはこれといって語るほどの思い出などありはしないのかもしれない。恋愛関係にあったこともなく、どこかへ旅に出たこともなく、怒鳴り合いをしたこともなく。彼女も私も酒を飲まないため、朝まで飲み明かしたこともない。

彼女はすぐにハグをしてきます。路上でバッタリ会った時にもハグをしてきて、照れくさい思いをしたことが何度かあります。

上に「盟友」と書きましたが、どこかでこの言い方をした時に彼女は喜んでいたことがありました。それを思い出して今回も使ってみたのですが、そんな瑣末なことしか思い出せない。

私は思い出に浸る趣味がないので、反芻することで思い出を強化することもなく、思い出になる前に記憶が消えていきます。そのため、彼女といつどういう状況で知り合ったのかもよくわからないでいました。

なのに声が聞こえるのです。心霊現象でもなんでもなくて、ふとした拍子に彼女の声を思い出している。彼女の声は特徴があって、艶や湿度があります。とくに電話では甘えるようなトーンが加わって、その声が耳にこびりついていて、リアルに今も聞こえてきます。

これといって書けるような思い出はないのだけど、彼女は私にとってやはり特別な存在でした。

 

 

彼女との出会い

 

vivanon_sentence先日、夫のきょん、長らくHIV陽性者として活動を続けている長谷川博史さん、SWASHの要友紀子と私の4人でメシを食った時に、「南さんは色っぽかった」という意見で一致しました。はっきりと物を言うし、性的にリードをしたがり、なおかつ探究心があるので、「男のような」という形容をされることもよくあったのですけど、生身の彼女はつねに色っぽかったのです。声がまさにそうでした。

長谷川さんは私以上に南さんと仲が良くて、長谷川さんから私は彼女を紹介してもらったようにも思っていたのですが、その時に皆で照らし合わせたら、私が先だったようです。しかも、うんと先。

インタビューをもう一度読み直しました。このインタビューは雑誌「創」の連載用で、1999年のものです。そこに書いていることからすると、その6年くらい前に彼女と出会っていたようです。渋谷にあった「ワイルドキャット」という店に在籍していた頃です。

私は30代、彼女はまだ20代。この頃は仕事の依頼はすべて店を通していたはず。おそらくこの店が摘発された頃から、直接コンタクトをとるようになり、店を通さずに雑誌に出てもらったり、二丁目に連れていくようになったのだと思われます。

私の記憶はまったく当てにならず、亡くなってからやっとそんなことが確認できました。

この時にきょんにインタビュー再録の許可をもらいました。ある事情から、南さんとは死後のインタビューの扱いについて話したことがあって、「通常、再録は許可をもらうべきだけど、亡くなった場合は無断でもいいんじゃないかな」と言ってはいたのですけど、亡くなってすぐに出す気になれなかったのです。すぐに出した方が読まれるわけですが、時間が経っても読みたい人に読んでもらいたい。たいした時間も経ってないですけど。

※私の原稿に勝手に登場させているものは別にして、対談、座談会の類いで同席することがよくあったわりには本の形で残っているものは少なくて、『売る売らないはワタシが決める』収録の座談会が唯一かもしれない。

 

 

特別ではないことを語れたのが特別

 

vivanon_sentence彼女の存在の大きさは、性風俗の取材に力を入れるようになった私にとって、方向を決する役割を果たしてくれたことにあります。彼女が語る自身の話は、ひとつひとつを取り出すと、ありふれてはいないにせよ、他にも見られることだったりするのですが、彼女はそれを自覚して言語化できているという点で特別な存在でした。

「言語化」ということさらな作業を経ているのではなくて、彼女は自分自身に正直で、自分の欲望に従って行動していただけ、それをそのまま言葉にしていただけなんですけど、いろんな夾雑物が入り込んでくるので、ほとんどの人はそれができない。それが肩肘張らずにできている彼女は抜きん出た存在でした。「男をも失神させる」というところよりも、私とってはそっちが大事。

そこにおいては特別であっても、私にとっての彼女は異端、異常、特異、特殊な存在ではなくて、私は彼女の言葉に「語られにくい普遍性」をつねに見ていました。

 

 

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