松沢呉一のビバノン・ライフ

最高の職場だった「ワイルドキャット」—南智子インタビュー[2]-[ビバノン循環湯 353](松沢呉一) -4,733文字-

ピンサロからソープランドへ—南智子インタビュー[1]」の続きです。

 

 

 

ソープランドは向いていなかった

 

vivanon_sentence南智子さんのインタビュー二回目。前回は巣鴨のピンサロから吉原のソープランドに移動したところまで。

「ソープランドには3年半くらいいたかな。その間に何軒か動いて。一番最初に行ったのは『ロイヤルクラブ昴』という店。今はもうないんじゃないかな。バブルの頃にガガーって出た高級店のひとつ。あとは、『ルーブル』とか、高いところ狙いで。でも、ソープは退屈だったんだよね。素人ブームだったから、店は素人臭さを指導するわけよ。“アタシ、昼間は丸の内のOLです。そんなぁ、アタシはフェラなんてできないです”と言いなさいと店に指導されて。実際、そういうふうにしないと客受けも悪かったのね。ちょっとでも自分から積極的にやると、“君はオバサンみたいだね”とか“風俗嬢って感じだね”とか言われて敬遠されたのよ。プロっぽいコは受けない。声とかも、“アンアン”って素人っぼくすればするほど受ける。そういう時代だったから、私にはつまらなかったんだよ」

今も性風俗全般、こういう傾向はある。性風俗に限らず、男と女の関係一般にあるのか。

「それと、私はソープのリズムに向いてなかったみたい。時間が長いでしょ。ピンサロのリズムは“ハイハイハイハイ”って感じで慌ただしくこなすのに対して、ソープのゆったりしたリズムが私には合わない。一人に長くついて、それが終わったら休憩して、編み物したりして時間を潰して、また客についてまた休んでの繰り返しでまったりしている」

このリズムは重要で、「まったり」が体に合うのもいる。同じ性感でも、30分コースが中心だった店から50分コースが中心の店に移って、しばらくはリズムが合わないなんてことも聞く。ライターでも、雑誌によって合う合わないがあるし、週刊誌の仕事と月刊誌の仕事ではリズムが違うのと同じ。

「知っている子で、性感ヘルスからソープに移動して、“ソープがこんなに楽だと思わなかった”って言っていたのもいるよ。リズムが合ったんだろうね。“こんなことなら、もっと早く来ればよかった。性感はキツかった”って言ってた」

※読み直すとかなり口調がくだけていますが、これは知り合って何年も経っているためで、取材での彼女は相当に丁寧な言葉遣いだったはず。また、私に対して「松沢さん」と言ってますが、実際には「松ちゃん」だったはずです。私は「南さん」と「南ちゃん」の併用でした。

 

 

最高の職場を発見

 

vivanon_sentenceソープランドで働いている間に親の借金は解消するが、それでも彼女は働き続ける。ソープランドでの仕事は自分に合わなかったにしても、風俗の仕事を楽しんでいた彼女だから、働き続けるのは当然の成り行きであり、もっと面白い場があるはずだとの信念がすでにあった。

「ソープの次に、大久保のSMクラブに入った。でも、プレイをさせてくれないんだわ。三カ月は見習いで、おねえさんたちのお化粧役なの。それで一カ月弱で辞めちゃった。お金も給料制で、変わったシステムの店だったわねえ」

ここは大規模なクラブで、私も取材したことがあるのだが、取材する側にとってもたしかに特殊な店ではあって、オーナーがマニアなのだ。

「店を辞めたら、ここのオーナーが葵マリーさんに紹介してくれて、葵さんが代々木忠監督に紹介してくれた」

葵マリーというのは、歌舞伎で言えば尾上菊五郎みたいなもので、代々襲名されている名門女王様名。ここでは一代目を指す。代々木監督は言うまでもなく、一時代を築いたAV監督で、著書も評価の高い代々木忠のこと。

「葵さんから、“代々木さんがビデオに出る子を探しているから、オーディションに行っておいでよ。出演が決まれば、とりあえず何十万かは出るから”って言われて。ちょうど同じ頃、乱コーポレーションの応募を見て電話して、電話の段階で社長と盛り上がって、“今から来なさい”ということになったわけよ」

乱コーポレーションは、性感を中心に、派手な展開をしていた系列で、社長は女性。

こうして南さんは乱コーポレーションの代表的な店、渋谷の「ワイルドキャット」で働きだす。この店は、ソフトSMが入った性感の店。

「まだ今ほどは確立できていなかったんだけど、この頃には、自分の傾向ははっきりわかってきていたから、ここは最高の職場だった。私にすごく合っていて、入った次の日から返りがあったくらいで、お客さんにも自分のやりたいことが受け入れられた」

「返り」というのは、本指名のこと。初日にフリーでついた客が翌日に指名をしてくれたのである。これは相当に珍しい。

「ワイルドキャットで働き始めて一カ月後か二カ月後には代々木監督のビデオが出て、それも話題になって」

これによって南智子スタイルは世に知られるようになり、攻め手としてAVでの需要も増えていく。

 

 

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