中村うさぎ編『エッチなお仕事なぜいけないの?』の原稿依頼を断った経緯-(松沢呉一) -3,678文字-
立ち話で聞いた『エッチなお仕事なぜいけないの?』
「ホワイトハンズ=坂爪真吾」について調べることに時間を奪われていたので、他のモロモロが後回しになってしまいました。
そのひとつはTOKYO AIDS WEEKS 2017でのことです。
イベントの合間の休憩時間に会った知人に中村うさぎ編『エッチなお仕事なぜいけないの?』の話を聞きました。私に原稿依頼を断られたことを書き、「理由は本人に聞いてください」とも書かれていたそうです。
事実だから書いていいけれど、そう書かれるとこっちは説明をしなければならなくなり、その時も彼に事情を説明しました。
公開で書くようなことでもなく、そんな予定もなかったのですが、一人一人にいちいち説明するのが面倒なので、「ビバノン」に書いておくことにしました。
その文章を確認してからにしようとも思ったのですが、どうでもいいと言えばどうでもいいことなので、その確認も後回しにしたまま、いまなお確認はしてません。しかし、そこは正確である必要はないので、確認はすっとばします。
※写真は会場となった中野区産業振興センターの入口。中野駅の近くに緑に囲まれたあんな場所があるとは知りませんでした。
原稿依頼に疑問が生じる
ちょうど一年前のことです。うさぎさんからメールがあってムックでの原稿を依頼されました。
彼女はTwitter、私はFacebookなので、詳しくは知らないですが、彼女が「セックスワーク」と「表現規制」についての2冊のムックを自費出版で出すという話はなんとなくは聞いてました。そのセックスワーク版の原稿依頼で、テーマは「合法化と非犯罪化について」です。
すでに「ビバノン」に書いていることですから、内容が重複することを承諾してもらって依頼を引き受けました。なにかしら今まで書いていないことを加えることは可能でしょうけど、原稿の二重売りと言われないための念押しです。
そのすぐあとの12月16日、私らがやっている飲み会がありまして、そこにうさぎさんも呼んだのですが、彼女はこんなことを言います。
「この問題になると、自分の娘にはやらせたくないと言い出す人が多い」
パターナリズムであり、独裁者の発想です。
私はざっとこんな話をしました。
「それは家庭内で解決する問題であって、法や社会のルールにはならない。浮気に置き換えるとわかりやすい。自分のパートナーが浮気することを許せない人が多いだろうけど、パートナーとの間で解決する問題であって、夫婦が裁判に持ち込むとしても民事。戦前は姦通罪があって、これは刑事。自分のパートナーの浮気を許せないからと言って、今の時代に姦通罪を復活させるべきかどうかを考えれば、第三者が断罪したり、法で罰したりするのは不当であることは理解できる。一律のルールでこれを断罪すると、パートナーであってもプライバシーを確保して尊重するカップル、互いに浮気をしてもいいルールのカップル、スワッピングに参加しているカップルまでが許されなくなる。人によって、家庭によって、カップルによって違っていていいことなのに、家庭内やパートナー間のルールを社会全体が共有しないと納得できない人たちは独裁者と同じ。そう考えれば法で罰する売防法は不当で不要だとわかるはず」
飲み会の会話ですから、こんなに整理されてなかったと思いますが、だいたいこういう内容(姦通罪は親告罪なので、戦前とて「互いに浮気をしてもいいルールのカップル」等は処罰されなかったわけですけどね)。
そしたら、彼女はすぐさま「それを書いて」と言います。
「オレは合法化と非犯罪化について書くのでは?」
「それも書いて」
『売る売らないはワタシが決める』以来、こちらのテーマについてもさんざん書いてきています。「ビバノン」で言えばこの辺です。
それでも社会のルールについて論じている時に「私の下半身事情」「私の家庭の下半身事情」を持ち出すことがおかしいことだと自覚することさえできない露出狂たちが現にいる以上、繰り返し書いていくべきです。
これも今まで書いてきたものと違う様相の原稿にすることは可能ですから、書くのはやぶさかではないのですが、その原稿依頼の仕方に疑問が生じてきました。
この飲み会では座談会だか鼎談だかの話も出てきて、あまりに行き当たりばったりで、これでは原稿を書いても無駄になりそうだと不安になってきました。この調子だと内容の重複が出たり、足りない部分が出たりして、あとになって「内容がだぶってしまったので」とボツにされたり、削ることになったり、足りない部分を書き足したりすることになりそう。偉い人には言いにくいので、そういう役回りは私がやることになるのが常です。
原稿依頼のメールにも、ムック全体の趣旨やら章立てやらが書かれていなかったので、この時に「どういうものを作りたいのか」と聞いたのですが、この段階ではまだはっきりしていなかったみたい。
中村うさぎという個人がいろんな人に話を聞いて回っていくようなルポめいたものだったら行き当たりばったりでも、名前でまとめることができるのですが、通常言うところのムックみたいなもの、つまり共著の本だと、まとまりが悪いものになりそうです。
通常の本の作り方を提案
その2日後の12月18日、私はメールを送りました。
あの場で「どういうものを作るのか」と聞きましたが、時間をかけて、ここを決め込んでから依頼をした方がいいと思います。現状のやり方だと私は書けないというのが正直なところです。
つまりは、通常本作りで経る作業をまずやった方がいい。企画を決め込んで、台割を作って、執筆者を選定して、依頼書を作って趣旨を執筆者に伝える。じゃないと、書く側も何を書いていいのかわからず、原稿が揃っても、「あれがない、これがない」「これは趣旨と違う」「同じ内容が複数ある」ということになって収拾がつかなくなります。依頼通りに書いたものをボツにはできず、直しも頼めないでしょう。
この事情をさらに詳しく説明した上で、私は以下を提案。
●まだしも方向が作りやすく、書き手は誰が信頼できるか判断しやすい「表現規制」の方を先に作る。
●その間に、セックスワークのムックの準備をする。うさぎさん自身が資料に目を通し、人に話を聞きまくる。この段階では原稿依頼をしない。半年くらいかかったとしてもやむを得ないと思います。
●それから通常の本作りと同様の決め込みをしてから依頼する。
●書き手と編集は見ているところが違うので、フリーの編集者に依頼して編集部分は任せた方がいいかもしれない。
難しいことを言っているわけではなくて、私自身、編集をする場合の方法を提示して、「通常の本の作り方にした方がいい」というだけ。編集者の方々ならご理解いただけましょう。
二種のムックのうち、「表現規制」を先に出した方がいいと思ったのは、論点が多岐に及ぶセックスワークに比べると、そちらの方が論点がいくらかはシンプルなのと、論者がだいたい出揃っていて、執筆者の選別が楽だからです。その事情もこのメールでは説明しています。
「自分の娘にはやらせたくない」という意見に対して、自身がその間違いを指摘できるくらいになってから本作りに入った方がいい。
しかし、これに対してうさぎさんから「プロパガンダの本にしたくない」という返事があって、まったく話が通じてないので、これには返事をしませんでした。私は見切りが早いのです。
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