松沢呉一のビバノン・ライフ

言い続けないと何も変わらない—南智子インタビュー[5](最終回)-[ビバノン循環湯 356](松沢呉一) -4,441文字-

女も男も抑圧されている—南智子インタビュー[4]」の続きです。

 

 

 

一度すべてを壊してしまった方がいいのかも

 

vivanon_sentence男も女もそれぞれの性の規範にがんじがらめになり、互いに縛り合っているというのが南さんが仕事を通じて得ている実感だが、徐々にではあれ、変化が確実に起きている。

南さんの体験。

「時々驚くのはさ、若い女の子たちで、風俗嬢に憧れて入ってくる子がいるんだよ。“南さんに憧れてました。南さんのいる店に来たかったんです”って言われて、私は親御さんにどういう顔をしていいのか(笑)。“お嬢さんが大変なことになってます”って報告した方がいいのか(笑)。何度もそういう子に会っているよね」

いつの時代にも、南さんと同じ嗜好を持つ女たちは存在している。それを自覚し、行動する契機が今まではなかったのだが、今は南さんのビデオ、代々木忠監督の著書、あるいは私が紹介する南さんを見て共感を抱き、自分もああなりたいと思う。「ああなろう」とした時に、それを受け入れてくれるのは性風俗やAVしかない。それしかないことが不幸とすべきか、それがあるだけ今は幸福とすべきか。

南さんに限定せず、風俗嬢という存在に憧れて風俗嬢になるのはいくらでもいて、私もよく出会う。

繰り返すが、今だって借金だったり、親や子ども、夫などの扶養家族だったりと、何かしらの後ろ向きな事情で風俗嬢になるのは多い。しかし、それだけで今時の風俗嬢を語るのは大きな間違いだ。南さんのように、家庭の事情がきっかけになって風俗嬢になり、その事情が解消されても風俗嬢をやり続けることを、「風俗嬢のだらしなさ」として語りたがる人も多いが、これも間違い。辞めたくても辞められない風俗嬢もいるだろうが、辞めたいなんて思っていない風俗嬢が確実に増えている。だって、面白いし、やりがいがあると思いますよ、コピーやお茶くみやるよりも。

私は風俗嬢に「十年後、何をしているのか」とよく聞くのだが、「十年後もこの仕事をしていたい」と語るのが徐々に増えてきているし、最初から後ろ向きの事情などないまま、風俗嬢になるのが確実に増えてきてもいる。

「ただ、そういうふうに考えられるのは、松沢さんのような一部の人だけで、大多数の男性は、そう考えられないから、現実を受け入れられない。自分が望む女性像みたいなのを崩すのは、男の人にとって非常にハードな壁だよね。そういう幻想がなくなると、自分も壊れてしまうから」

するってえと、オレは壊れているのか。

「壊れてるよ(笑)。男と女は違う点ももちろんあると思うけど、精神的に言えば、さほど変わらないと私は思っている。でも、男と女は決定的に違っていて欲しいという望みが大多数の男の人にも女の人にもある。本当は一回むちゃくちゃになくなって全部壊れてしまった方がいいのかもしれない。それで、しばらくは女や男を嫌いになったとしても、いずれまた求め始めるんだろうからさ」

そのサンプルは壊れた私にあるんだと思うが、壊れたって、どうってことないって。既存の性的倫理観が全部壊れたって、恋愛は恋愛として成立する。セックスなんてしなくたって、「好き」は成立するし、倫理が壊れたってセックスは気持ちがいい。

明治以降、もともと日本にありもしないキリスト教的な恋愛観を無理やり持ち込んで、それをしばしばセックスする口実に使ってきただけのことなのだから、元に戻るだけである。「風俗の仕事をしていても、彼氏のことが好き」「これは仕事のセックス、これは性欲のセックス、これは彼氏とのセックス」と使い分けられている風俗嬢たちの颯爽とした生き方を手本にするといい。

 

 

女の客もやってくる

 

vivanon_sentenceあくまで私個人の印象に過ぎないのだが、私のような男も増えてはいると思う。それを誰にでも晒すわけではないにせよ、SMクラブやSMバーに通う客の質を見てもそう実感できる。若い世代ほど、Mであることを語る時に躊躇がないのが多いのである。

「自分の恋人が風俗で働くことを認める男もいるよね。うちの店でも、みんなに祝福されて結婚したのがいる。相手もこの仕事を知っているよ」

あるいは「ワイルドキャット」時代の南さんの同僚でも、夫公認で風俗の仕事をやり続けているのがいる(私は彼女と別の店で知り合った)。

かつて、夫公認というと、夫は働かず、妻の収入を当てにするパターンが多かった。つまりヒモだが、彼女らの夫はしっかり働いている。

「本当は、淫乱とか貞淑とかいう言葉も男性側が女性を規定するために生み出してきた言葉で、その言葉が認識を生んでいく。“私は淫乱なんだな”“貞淑なんだな”って。セックスが好きというだけで、“あの人は淫乱”ということで理解する。でも、本当に、女性がセックスに積極的になることはいけないことなのかな。そういった規定を全部取っ払ったときに一体女性たちの中から何が出てくるのか。ただ、それを出すのが今は難しい。それを出せないから、そんな歳でもないのに、“ダンナから女として見てもらえない。もう一花咲かせたい”みたいな人とかが風俗にやってくる」

つまりは、男が自分の幻想を女たちに押しつけようとするが故に、女たちが風俗で働くことさえあるわけだ。

女の幻想を女たちが受け入れ、男の幻想を男たちが受け入れ、両者がそれを支え合っていた時代はいいけれど、それが綻び始めている現在において、旧態依然とした価値観で、風俗を語ろうとすると、見えるものが見えず、ありもしないものが見えてきてしまうのだ。

「それを実践して、おおっぴらにしている私は私が特別であるとわかっているよ。だから、私を例にして、風俗のすべてを語ることはできないと思うけど、女の人が客で時々来るのよ。ビデオに出たり、『FUU』とか『綺麗』にも出ていて(いずれも女性向けのエロ雑誌)、それを見て、“レズの経験はないんだけど、この人なら安心じゃないか”って来たりする。だいたい主婦だけど、中にはOLとか女子大生もいる。さすがにコギャルはついたことがないけどさ」

 

 

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