松沢呉一のビバノン・ライフ

ピンサロからソープランドへ—南智子インタビュー[1]-[ビバノン循環湯 352](松沢呉一) -5,451文字-

予告編」に書いたように、これは1999年のインタビューです。時制はその時のままにしてあります。

リアルに印象に残っていますが、私より下の世代のわりに、彼女は女言葉の語尾をよく使います。「〜だわ」とはあまり言わなかったと思いますが、「〜なのよ」「〜なのね」は頻繁に使う。こういう語尾は書き文字にするとくどくなるので削ってしまうことも多いのですが、それでもなお相当数残っています。これは私が作っているのではなく、もともとの彼女の話し言葉です。

この頃の私はまだ女は「女性」、男は「男」にしてしまうアンバランスに鈍感だったので、そうなっている箇所が多く、これは気持ちが悪いので、「男・女」なり「男性・女性」なりで合わせましたが、南智子の発言についてはそのままにしています。あとはほとんど原文通りですが、雑誌に掲載されたものとは違っている可能性がありそう。たぶん何かに収録しようとしてまとめ直したことがあったのだと思います。

今回追記した部分は※で処理しており、カッコで補足しているのは原文通りです。

 

 

 

なぜ風俗嬢は泣かなければいけないのか

 

vivanon_sentence4月20日、日テレで夜の9時からやっていた「情報最前線」で、歌舞伎町を取り上げていた。まあまあよくできた番組だったんだが、ひとつだけ気にいらないことがあった。

歌舞伎町にあるAF(アナル・ファック)専門店の看板娘が、この番組の柱とでもいうべき役割を果たしていた。彼女に会ったことはないが、店はよく知っていて、彼女の存在も見聞きはしている。これがまた如何にもの、お涙ちょうだい話で、彼女自身、カメラの前で涙をこぼす。恋人を事故で亡くして風俗入りし、続いて、父親も亡くなってしまう。

この番組には歌舞伎町で棲息するさまざまな人々が登場するんだが、「悲しい部門」は一手に彼女が引き受けていた。以前、この店の従業員に彼女の話を聞いたら、「サバサバした明るいコですよ」と言っていたのだが、探せば悲しい話も出てくることはあるだろうし、あえてその話をさせて泣かせるのは常套手段だ。

これは決してたまたまなのではない。私のところにもよく「ワケありの風俗嬢を紹介してくれ」「借金のある風俗嬢を紹介してくれ」と見ず知らずの雑誌やテレビから問い合わせがある。もちろん、私は協力しない。

彼女としても店としても、テレビに出ることで客が来るという計算もあるわけで、あえて涙を見せることでいよいよ効果的と考えたとしてもおかしくはない。この連載のパートナーである竹子ちゃんは、取材を受けるために嘘話をし、噓話なのに悲しくなって涙が出てきたこともある。

何を売り物にしようが勝手だが、何故風俗嬢だけが過去の事情をテレビでほじくりかえされなければならないんだろう。

あの番組に出ていたクラブホステス、水商売専門の洋服屋をやっているオヤジさん、新宿を撮り続けるカメラマン、ホームレス、便利屋、SMの女王様たちだって、聞けば涙なくして語れぬ過去があるのかもしれないのに、彼らはプライバシーを晒すことはない。風俗嬢だけは涙を晒さずして、あの時間帯のテレビに出られないってわけか。仮に彼女が、何の事情もなく、「ただ楽しそうだから」という理由で風俗店に入り、好き好んでケツにチンコを入れ、稼いだ金を服やギャンブルで使いまくっていたとして、それでも彼女をあの番組に出したかどうか。

日陰者扱いだった風俗嬢が、ゴールデンの時間帯にテレビに出られるようになったこと自体はいいことだとの考えもあるだろう。否定はしない。しかし、結局のところ、あの番組を見て、「風俗嬢はかわいそうな女たちで、やりたくもないのに風俗の仕事をやっている」との勝手な思い込みを抱いた人が大量にいるだろうことが気掛かりだ。

※書影は南智子と夫のきょんの共同作品である小説『怪ほどき屋』。以下同。

※竹子ちゃんは、この連載の第一部で毎回登場していた風俗嬢。松竹コンビってことで竹子である。

 

 

風俗嬢は仕事である

 

vivanon_sentence念のために言っておくが、断固、彼女はやりたくてチンコを自分の肛門に差し入れているのである。彼女は将来ペンションを買いたくて、あの仕事をやっているはずだ。私が何千枚の原稿を書こうとも、ペンションを買うことなんてできやしない。他の仕事だってそう易々とペンションなんて買えやしない。誰も彼女にペンションを買うことを強制なんてしていないわけで、その目標のために、彼女は自分の意志で望んでチンコを肛門に入れている。

他の仕事では手に入れられないものを手にすることができる風俗って素晴らしい、「風俗バンザイ」と、彼女の話から学ぶべきである。

そりゃ、世の中から白い目で見られかねず、親にバレれば勘当されかねず、彼氏や夫にバレれば別れることになりかねず、性病に感染するかもしれない風俗嬢という仕事を選択するのだから、なにがしかの事情を持っているのは多い。少なくとも、その辺の会社員や店員さんよりは多い。

しかし、この連載で書いてきたように、このことと、風俗産業の是非とは関係がない。ワケありの女たちを救う場として風俗産業は肯定されなければならないのでなく、借金もなく、扶養家族もおらず、目標すらなく、単に楽しい、単にエロが好き、単に金が好きという理由で働くこともまた肯定されていい。それ自体、立派な仕事として私は性風俗(売春を含む)を肯定する。

なんてことを男の私が言っても説得力に欠けると思うので、風俗嬢自身の口から、風俗嬢という仕事を語ってもらうことにしよう。ここはやっぱり南智子さんが適任だろう。

※『風俗バンザイ』はこの連載の第一期を単行本にした時のタイトル。『風俗就職読本』はその文庫版。

※他の仕事と同じようには扱われず、つねに性風俗に「悲しみ」「哀れさ」という形容を伴わないではいられないことに対して、最近、SWASHの要友紀子は「有徴化」という言葉で説明をしています。詳しくは彼女の講演を聞くとよろしい。

借金があるとことさらに誇張される。イヤな経験があるとことさらに誇張される。仕事をする契機にことさらな理由を欲しがる。将来の展望がないと何も考えてないとバカにされる。稼いでいると「金銭感覚がおかしくなる」と警告され、稼いでいないと「性風俗までやって稼いでいない」と哀れまれる。在日外国人が犯罪をやらかすとことさらに取り上げられることと同じであり、差別意識が表れたものだと見ていいでしょう。ただ誇張するだけでなく、時に作り話をしてでも世間に迎合するメディアが多く、今度はそれに迎合する風俗嬢もいる中で、そのことのおかしさに南智子や私は自然と気づいていったわけです。

 

 

南智子登場

 

vivanon_sentence「創」読者には知らない人もいるだろうが、南智子と言えば、男を失神させる風俗嬢としてエロ業界では知らぬ者がいない。南さんは、私が考える風俗嬢のあり方をそのまま体現している人物で、浅草キッドの水道橋博士など、彼女を師と仰ぐ人は多い。

彼女が性風俗の世界に入ったのは20歳の時。女子美の学生だった。

「小さい時から、性的に自分がちょっと変わっていることには気づいていた。こういう男が好きとか、こういうふうにつき合いたいとか、こういうセックスがしたいとか、すべてがどこか違う気がしていた。男とつき合っても何か違う。でも、自分では、何がどう違うのか、よくわからなかったのよ。笑うかもしれないけど、それでずいぶん悩んでいた。SMのSなのかなとも思ったりしたよね」

私の知っている範囲でも、彼女同様、今の社会で自分の性的嗜好が満たされず、一般的な男が望む女でいることに違和感を感じ、それで女王様になるのは多い。かといってSというわけでもなく、その内実は、セックスにおいて自分が主導権を取りたい、受け身でなく積極的に男を感じさせたいということだったりするのだが、この社会で積極的に女性が欲望を出すことは、淫乱だのふしだらだのと罵倒されかねず、パートナーの間においてさえ、積極的な行動は許さない男は多いものだ。自ら男の上に乗ってガンガン腰を振るだけで「おまえはそんなことをどこで覚えてきたんだ」なんて言う男がいるらしい。いいじゃねえか、どこで覚えても。

おしとやかじゃなく、受け身でもない女が、この社会でそれなりに認められる立場と言えば女王様ってわけだ。このように、いわば性的自己実現のために、SMクラブの戸を叩くのが案外多いものである。

 

 

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