松沢呉一のビバノン・ライフ

学校は自校の歴史を正しく記述すべし—女言葉の一世紀 114-(松沢呉一) -3,185文字-

林望の嘉悦孝子擁護論を批判する—女言葉の一世紀 113」の続きです。

 

 

 

嘉悦孝子は旧弊思想の体現者でしかない

 

vivanon_sentence林望の文章の中でも触れられているように、明治末期には「新しい女」たちが登場しています。世代は違えども、同時代にこういった動きがあって、婦人参政権を求める運動が起き、女たちの社会進出が進む中で、嘉悦孝子はその動きにはっきりと異を唱え、反対をしているのです。

湯原元一・東京音楽大学校長の先進的意見」で見たように、湯原元一は明治の段階で個人主義に基づく先進的な意見を述べています。湯原元一は1863年生まれ。対して嘉悦孝子は1867年生まれ。嘉悦孝子の方が若いじゃないですか。同世代であっても湯原元一のような人たちも次々と出てきていた時代であったことを踏まえるなら、こんな擁護論は成り立たない。

そもそも1835年生まれの福沢諭吉が「女大学」を徹底的に批判した、そのずっとあとでなお「女大学」さながらに女は劣っているのだから家庭のことだけやっていればいいのだとした嘉悦孝子をどうやって擁護しようがありましょうか。

嘉悦孝子は家父長制に基づく旧弊思想の中でいくばくかの改良を求めたに過ぎず、その改良は家父長制を踏まえただけでなく、強固にするものですから、旧弊思想を体現した存在でしかありませんでした。

林望の「擁護論」は、「時代だからしょうがない論」に基づいているわけですが、この論が成立するのは、「男女同権、自由平等」「婦人参政権」「女の社会進出」なんてものが考えられるはずがない時代の言動をもって、それらの考えを土台にして批判することに対してのみ有効です。

それこそ福沢諭吉の書くことには時代の限界が含まれていて、そこを斟酌して評価すべきですが、嘉悦孝子には斟酌する要素は見当たりません。

怒るな働け』は大正四年に初版が出て、昭和十一年まで新装版が出続けた本です。その間にも女性の社会進出は飛躍的に進んだことはすでに見てきた通り。それでも嘉悦孝子のこの本では女は社会進出するな、仕事を与えるなと主張してます。できる範囲で改善を求めたのではなくて、できることにも反対をしたのです。

 

 

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