松沢呉一のビバノン・ライフ

『売る売ら』から『セクスタ』まで—「私」を主語にできない問題[1]-(松沢呉一)-[無料記事]-3,402文字-

次回からの南智子インタビューの補足のようなものですが、今回は「中村うさぎ編『エッチなお仕事なぜいけないの?』の原稿依頼を断った経緯」の続きのようなものです。

 

 

 

『セックスワーク・スタディーズ』は順調に進行中

 

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中村うさぎ編『エッチなお仕事なぜいけないの?』の原稿依頼を断った経緯」に書いたように、私が原稿依頼をお断りしたのは純然たる本作りについての考え方の違いです。

その点、来年、日本評論社から出るSWASH編『セックスワーク・スタディーズ』(以下、『セクスタ』)は、私が納得できる本作りが進行しています。

アドボケーター養成講座」を下地にしつつ、足りない部分は新たに依頼をしているそうで、テーマに抜けのないように、編集者がえれえ時間をかけて作っています。

通常であれば、さっさと編集者が決定して事後承諾をとるようなことまで、執筆者たちにひとつひとつ事前確認をとっています。

また、先にできた原稿は他の執筆者に見せて、重複が出ないようにもしています。どうしたって重なる部分は出てきますけど、本を読んでいく際に、同じことの繰り返しになっていると読み進む気が失せますから、できるだけ重複は避けた方がいい。

共著本で読み合わせまでやることは極々稀ですが、原稿が集まった段階で、著者たちが集まって読み合わせ会をする計画もあります。

※日本評論社は来年創立百周年です。その記念出版というわけではないですけど、めでたいことです。

 

 

今の時代に丁寧な編集ぶりに感心

 

vivanon_sentence表紙デザインも著者たちからの意見を受け付けていて、私はレッド・アンブレラをプッシュしています。これを見てすぐにセックスワーカーの権利運動を連想する人は少ないので、本の購買に効果はないでしょうが、だからこそ、この機会に浸透させたいのであります。

あとからの直しは手間や無駄が増えますから、先に確認をとって文句を言われにくくしたり、本作りに著者たちを関与させて、本に愛情を持たせたいという編集者の計算もあるのでしょうが、現実にここまで丁寧にやる編集者はなかなかいない。

少なくとも私の担当で見る限り、新潮社も丁寧ですけど、多数の本を担当しなければならない時代に丁寧な本作りは実行できにくい。もっと手を抜いても私は全然怒らないですが、新潮社の編集者も日本評論社の編集者も、本来そうすべきことを全部やっていて感心します。

もうひとつ感心するのは編集者が勉強熱心ということです。これまた新潮社もそうですが、関連の資料に目を通し、関連のイベントにもよく足を運んでいます。

もちろん『セクスタ』は共著であり、文字数の制限がありますから、すべてを完全に網羅して論じ切れているはずもないのですが、全体を見渡せると同時に細部を検討することができやすい内容だと思います。寝転びながら軽く読める内容ではないですけどね。

Decriminalise Sex Work, New South Walesより。赤い傘を使ったデザインを思いついてラフを描いてみたのですが、アイデアは悪くなかったものの、いざ形にしてみたら、赤い傘が後ろに引っ込んでしまうことがわかって、自らボツにしました。そのラフを公開しようかとも思ったのですが、ガキの絵みたいなのでやめておきます。

 

 

『売る売ら』を出した意図

 

vivanon_sentence自分の過去を振り返るのが嫌いな私ですが、このところ、よく自分の書いたことを読み直しています。南智子がきっかけです。

いまさらどうしようというわけではなく、ただただなんとなく南智子の名前で自分のPCを検索して、彼女について書いた自分の原稿を読んでいます。多数あるのです。

とくに2000年前後に集中しています。『売る売らないはワタシが決める』(以下、『売る売ら』)を出した頃です。そういった原稿を読み直して、「今考えていることとあんまり変わらないな」と思います。しかし、それから17年間経って、成長がないわけではありません。

売る売ら』の少し前から、私は世に流通している売買春否定論のおかしさ、バカバカしさを批判し始めていて、ある程度の量が溜まったので、本にまとめるかと思い始めるのですが、ここで「待てよ」と考え直します。

エロライターの私が書いたものを世間様は相手にしないでしょう。また、私の意見は私の意見でしかないので、もっとさまざまな人に書いてもらった方がよくて、とくに売春、性風俗を経験してきた人たちにも参加してもらいたい。

私はそういう人たちの意見を聞いて、自身の意見を組み立ててきたわけですけど、同じことなら直接彼らに書いてもらいたい。

ということで共著として『売る売ら』を編集しました。

その経緯と目的はあとがきにも書いたと思いますが、この本を出すことで活発な議論が起きることを期待していました。この本は議論をする際に邪魔なノイズを取り払っておくことを目的にしていて、期待する議論はその先です。

事実に基づかない風説や妄想を根拠にするな。検証不可能な「心の汚れ」みたいなものを持ち出すな。社会の規範を論ずる場に「私の事情」「私の家族の事情」を持ち出すなってことです。それを排したところで議論を始めたい。

結局、今なお売春否定の人たちはそういったレベルに留まっていて、そこから踏み込んだ議論に行きつけていないのだと思います。あっちがそうだから、こっちもそれにレベルを合わせたことを言い続けるしかない。たぶん『エッチなお仕事なぜいけないの?』はそういう論を批判するものでしょう。こういうものも出し続けるべきだとは思いますが、私自身、そこに興味が今現在あるかというと、あんまりない。たいていのことはすでに論じていますので。

※そういえば『売る売ら』でも、執筆者全員ではなかったですけど、読み合わせ会をやってます。関西在住が多かったので、京都で合宿したんじゃなかったかな。

 

 

続く『ワタシが決めた』の意図

 

vivanon_sentence売る売ら』の路線を継続した単著を出す計画もあったのですが、次に私は『ワタシが決めた』(以下、『ワタ決め』)の制作にとりかかります。

売買春否定論者は「女は〜」「売春をする者は〜」「風俗嬢は〜」といった一律の決めつけに基づいていることがしばしばです。

金子みすずの「みんなちがって、みんないい。」というフレーズを口にしながら違う他者を容認できないような人たちじゃないですかね。あるいは「差別反対」と言いながらセックスワーク差別、広くは女性差別を無意識にやらかすような人たち。

表向きはセックスワーカーのためであるように装いながら、「全部が全部悲惨な目に遭っていて欲しい」「全部が全部借金を抱えていて欲しい」「全部が全部性病になっていて欲しい」「全部が全部ヒモに騙されていて欲しい」「全部が全部心が汚れていて欲しい」という願望を事実かのように語ります。

ワタ決め』は、「売春する女たちは哀れな女たち」「風俗嬢は何も考えていない」「風俗嬢はだらしがない」と決めつけることに対して、「いや、人はいろいろ、経歴もいろいろいろ、考えていることもいろいろ」と主張するためのものでした。

集団が主語ではなく、「風俗嬢であるワタシ」「ストリッパーであるワタシ」「AV女優であるワタシ」が主語です。

 

 

20年の蓄積が『セクスタ』

 

vivanon_sentenceその一方で私は期待していたような議論が起きないため、「一人議論」をよくやってました。たとえば「売春が合法化された場合(ここでの「合法化」は広義の合法化であり、「非犯罪化」を含みます)、不都合が起きる可能性はないのか」といったテーマでシミュレーションをする。非犯罪化を掲げてしまうと、細部が見えなくなりやすいので、その細部を見ようとする試みです。

これ以降は歴史の間違いを指摘していく作業に力を入れるようになり、「日本のフェミニズムの特異性と問題点」みたいなところに踏み込み、「今も続く良妻賢母の正体」というのが最近のテーマです。

わかりにくいでしょうが、ここ20年、私は私で深化させてきたつもりです。

SWASHも同じです。外向けの議論をやっても盛り上がらないし、全面的に議論をしていくには自分たちの体力が覚束ないということで、活動を内部向けに転化して、表にわかるような活動をしなくなっていきます。具体的には性風俗店への講習であったり、調査であったり、海外とのネットワーク作りであったり。

セクスタ』ではその辺の蓄積も読み取れようかと思います。

続きます

 

 

 

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