松沢呉一のビバノン・ライフ

『ワタシが決めた』の経験—「私」を主語にできない問題[3]-(松沢呉一) -3,134文字-

南智子は初対面から特別だった—「私」を主語にできない問題[2]」の続きです。

 

 

 

『明るい谷間』へのオマージュ

 

vivanon_sentence前回書いたように、『ワタシが決めた』は、「風俗嬢は〜」と大きな主語で大雑把に語られやすいことに対抗して、「私は〜」という主語に解体することを狙ったものです。

この本には手本があります。新吉原女子保健組合編『明るい谷間』です。同組合が発行していた「婦人新風」の掲載された文芸作品を集めた文集です。『売る売らないはワタシが決める』(以下、『売る売ら』)にここから作品を転載していますが、仕事と売防法制定反対の闘争に追われる中で赤線従業婦たちが懸命に書いている文章が泣けます。

売防法で潰された彼女らの口惜しさを引き継ぎたかったのであります。

新聞を発行し、文集をまとめる作業はきっと大変だったでしょう。『ワタ決め』も編集作業が大変だったですから。しかし、当時の方が楽だったかもしれない。当時は「婦人新風」に書くしかないので原稿を集めやすかったのではなかろうか。今はネットでいくらでも自己表現ができますから、ちょっとの原稿料(ページ割でした)を出したところで動機付けとしては弱い。

ワタ決め』の話をして興味を抱くのがいたら、書き方を教える。その場では「書きます」と言っても、ほとんどは書いてくれないですから、催促するのですが、催促しても書けないのが多いので、軽く催促して書けない場合は諦める。

一から手取り足取り教えて、繰り返し催促するよりも、多数の人に片っ端から頼む方がまだしも効率がいいのです。

依頼書でも説明をし、口頭でも「今日、こんな客がいたよ」とメールでやりとりしているようなことをそのまま長いものにすればいいと説明をしていたのですが、原稿ができても履歴書になってしまう人がいます。細部がないまま入店の動機や店を移ったことなどが羅列されている。面白くもなんともないし、個人も出ないので、こういうのは書き直しですが、そのまま書けずに終わってしまった人もいます。

 

 

編集作業が大変すぎた

 

vivanon_sentence 1冊目は増刷されましたが、通常の共著本の比較ではなく手間がかかるため、全然元はとれません。『売る売ら』のように執筆もしていればグロスでそこそこ入ってきますが、編集印税だけだと時給300円みたいな換算になり、時間的にも金銭的にもインタビューをした方がずっと効率がいいんです。

しかし、たどたどしくても、自分で書いた文章には意味があります。インタビューでは再現できない表現というのがあるし、思いが伝わる表現というのがあります。『明るい谷間』も自分らが書いているところに意味があるのです。

南智子も言っていたように、また、『ワタ決め』でもそういうことを書いていた人がいるように、インタビューで自分の言っていないことを書かれることがあるのですけど、自分で書けばそれも避けられる。

そこはこういう本の意義ですけど、原稿集めと編集作業にあまりに手間がかかるため、ポット出版からは2冊で終りにしました。

その後、その意義を理解してくれて、原稿集めと手直しまで分担してくれる版元が現れて、3冊目を出すことになります。「ワタシのシゴト」ってタイトルだったかな。ところが、原稿がほとんど完成したところで、その版元は倒産してしまいました。書いていただいた方には本当に申しわけないことをしました。

当初は従業員編や地域別、ジャンル別も作る構想があったのですけど、大変過ぎて、私の根気が続きませんでした。

※写真は大宮のソープランド。以下同

 

 

いくら説明しても理解されにくい

 

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ワタシが決めた』では「“私”について書いて欲しい」「“私”を主語にして欲しい」旨、原稿依頼書にも書いてましたし、本人に会って依頼する場合は口頭でもこのことを説明していて、大半の人はわかってくれたのですが、それでもなかなかわかってもらえないケースがありました。

 

 

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