松沢呉一のビバノン・ライフ

女流教育家たちを蹴散らす女優・森律子—女言葉の一世紀 115-(松沢呉一) -3,360文字-

学校は自校の歴史を正しく記述すべし—女言葉の一世紀 114」の続きです。

 

 

 

市川房枝の煮え切らない意見

 

vivanon_sentence婦人職業戦線の展望』の「調査趣意書」には、嘉悦孝子の他に、永田秀次郎(東京市長)、吉岡彌生(至誠堂病院長/女子医学専門学校長)、市川房枝(評論家)、三輪田元道(三輪田高等女学校校長)、水城春寿(白木屋呉服店)、森律子(女優)、竹中繁子(東京朝日新聞客員)、大島ハナ(三越呉服店)、A子(アンドリュース商会)、小川ヨシ(森永製菓東京工場)、水谷八重子(女優)が執筆。

社名のみ書かれているのはそこの従業員です。働いている婦人の立場から、自分自身が働くようになった経緯や働くことの実感を書いているわけですけど、訳あり率が高い。「幼い頃に両親が亡くなった」(大島ハナ)、「結婚していたが、夫が亡くなって子どもらのために働かなければならなかった」(A子)、「親族が事業に失敗した」(小川ヨシ)。芸娼妓ならずとも、女工ならずとも、女が長期にわたって働くということがどういう意味を持っていたのかが読み取れます。

市川房枝は婦人の社会進出を歓迎しながら、そのために男が仕事を奪われることも危惧。これまで書いてきたように、これは社会進出反対派の意見です。市川房枝は、働くことは誘惑が増えて、貞操を蹂躙させることもあるとしていて、こちらもまた保守派の意見であり、煮え切らない内容です。公職追放になるほどの戦中の行動を見ても、もともとこの人はさしてリベラルな考えの人ではなかったのではなかろうか。

三輪田元道は、日本の発展は女子労働力があったためであるとして歓迎しつつ、やはり条件がついて、家を修め、子弟を教養することが婦人第一の天職であるとして、それを忘れかねないことを諌めております。女子の社会進出肯定に重きがある点が嘉悦孝子とは違いますが、論旨は似たようなものです。

水谷八重子は女優の収入を数字を出して説明し、その数字を見ると儲るようでありながら、弟子や下働きを多数抱えるため、その給金だけでも多額になり、それ以外にも金がかかるし、仕事もハードなので楽な仕事ではないという内容です。

※写真は土肥円修著『コンテー肖像画講義』(大正十四年)より水谷八重子

 

 

抜きん出ている森律子

 

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この中でもっとも先進的改革論者は女優の森律子です。

森律子の父親は弁護士(のちに衆議院議員になった森肇)で、彼女も女学校卒業後、弁護士なりたかったのですが、当時女は弁護士になれませんでした。そこで弁護士の秘書になろうとしたのですが、これも果たせず、ちょうどその頃、帝劇の女優第一期生の募集があったために女優の道へ。

女優生活二十年を振り返ってこう書きます。

 

 

爾来舞台生活に入りましてから二十年の歳月は、嬉しいこと、悲しいことが交錯して夢のやうに流れたのでありますが、芸道への精進、自分の生活の完成への■心は一日として忘れることはございません。近頃職業に携はる婦人の方々の勤続年限が、結婚生活への転換の為めに大変短いといふことを新聞で拝見致しましたが、これは私共の生活様式が複雑過ぎる為めに、一度主婦になると家庭に束縛されて折角多年の苦心の結果伸ばした自分の天分を、持ち腐らせて了まふ結果になるのではないかと考へられます。

従って婦人の社会的進出を一層合理的にするためには、先ず家庭制度に改善を施す必要があるのと同時に、婦人自らも職業は単にお嫁入仕度やその他の経済上の手段のためにといふ考へから、自己の生活を意識あらしめるため、社会人としての義務を果たすためといふ域まで自覚することが必要であると存じます。

近年婦人の方々の目覚ましい社会的進出に伴って種々の運動が起こって居ります。例へば婦人参政権獲得の運動などもその著しい現はれの一つでございませう。

新聞紙の報導(ママ)に依りますと今度の議会(第五十九議会)に提出されました婦人公民権の議案は委員附託となった相でございますが幸ひにしてその通過を見、直ちに実施されたと致しましても、果たして十分にその実績を挙げることが出来るでございませうか。

折角頂いたお宝を無駄にするやうなことになりはしないかと恐れます。伝統に培はれた考へを改めることは仲々一朝一夕のことでは不可能で、夫れには私共の進歩的な思考力を涵養することが先決問題ではないでせうか。

 

※■は文字が潰れて読めない

 

女学校の教育者たちは軒並み反対に回り、婦人運動家の中でも反対したのがいたのに、森律子はどうやら女の社会進出に賛成、あるいは条件付き賛成のようです。それを実現するためにはまずは女たち自身が変わる必要があるとしていて、政治に無関心で家を守ることが自分の責任だと考えている女たちにいらついていたのだろうと思います。

このあとロンドンにいた時に婦選運動の熱狂が最高潮に達していたことに触れています。

 

 

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