松沢呉一のビバノン・ライフ

サフラジェットの活動をロンドンで見ていた森律子—女言葉の一世紀 116-(松沢呉一) -3,669文字-

女流教育家たちを蹴散らす女優・森律子—女言葉の一世紀 114」の続きです。

 

 

 

『妾の自白』の驚くべき内容

 

vivanon_sentence続いて『妾の自白』(大正八年)を読んでみました。

「妾」という漢字は厄介でありまして、今は「めかけ」くらいしか使いませんが、古い本では頻繁に女の一人称として使用されていることは「ビバノン」の引用文でも見てきた通りです。

欧洲小観わらはの旅』(大正二年)は、文語体で書かれた部分が多い本で、本文でも「妾」には「わらわ」とルビがついてます。対して口語体の文章で出てきた場合は「わらわ」ではなく「わたし」と読ませることの方が多く、『妾の自白』でも本文では「わたし」とルビがついていますが、タイトルは「わらわ」です。この本がそうであるように、一般に「妾」と書いて「わたし」と読ませる場合は「わたし」よりも口語っぽい印象で、「たし」のニュアンスになることが多いのですが、「わらわ」と読ませる場合は文語っぽくなって、「我」に近い。「妾の自白」は「我が告白」といったところです。

妾の自白』は雑文を集めたもので、日記や他人の書いた森律子評までが掲載されており、自伝的内容も書かれておりまして、人となりがよくわかり、森律子が「新しい女」と評されていた事情までがクッキリとわかりました。

 

 

「新しい女」の誕生を祝福

 

vivanon_sentence

妾の自白』(大正七年)の冒頭にこうあります。

 

 

女優が寸時も忘れてはならないものは、自分が決して男子に劣るものではないという信念であります。

 

 

女流教育家が女は劣っているのだと明言していたことと好対照です。森律子は教育者たちより数段優れた思想家であり、実践家でありました。

明治四一年、川上貞奴が帝国劇場女優養成所を開設します。

 

 

当日一堂の下に集まった同志の新女優十三名と、其の父兄の前に、渋沢男爵の御演説が御座いました。其の御趣意は『町人として卑しめられた商人も、実業家として社会の地位を占むる今日、日本も昔とは違って、世の中が進んでゆくのであるから、日本の婦人も或る場合には欧米同様、芸術方面なり、又は他の方面に向って、独立独歩して大いに活躍せねばならぬ。殊に習慣上軽んぜられたる女子であって、然もその上別階級の如く社会から見なされた俳優、則ち其の女子と俳優とを兼ねたる女優の立場は、実に困難ではあるが、同時に又興味ある事であるから、一層身を慎み、斯道に励まねばならぬ、其の代り自分が保証人ともならう』との御話で御座いました。

此の御演説こそ帝国劇場会社が時勢に鑑みて我国の婦人界に女優と云ふ新らしい職業を起こされた御趣意の代表的御演説で、実に永久に私共の生命の根底ともなって居るので御座います。

 

 

渋谷男爵とあるのは渋沢栄一です。帝国劇場オープン時の代表は渋沢栄一なのですね。

これはまた立派なスピーチ。女学校の校長よりもずっといい。「青鞜」の創刊は明治四四年です。その三年前ですから、まだ「新しい女」という言い方はなされていなかったはずです。

すでに福沢諭吉のような主張もあって、女の社会進出肯定論はむしろ男たちが積極的に主張していたように見えます。労働力が必要であるとの財界からの要請もあったわけですが、一部であれ男たちがそれを要求し、女学校はそれを防ぐ良妻賢母の砦と化していた構造が見えます。なぜなのかについてはもっとあとで見るとして、森律子は渋沢栄一に共感し、社会進出についても婦人参政権についても森律子は女学校に象徴される良妻賢母主義とはっきり対峙しています。

 

 

 

 

 

英国で見た婦人参政運動

 

vivanon_sentence妾の自白』にはロンドンで見た婦人参政権獲得運動の様子も簡単ながら出ておりました。

 

 

私は嘗てロンドンで、所謂英国の婦人参政権者の運動なるものを見た事がありました。幾百人、幾千人と隊を組んで、中には武装した方なども見受けました。石を投げたり、窓硝子を破壊したり、随分乱暴な狂的な行ひをなさる方々もありましたが、私はその手段や方法などを別としまして、それ等の方々の主義や主張には、非常に根拠のあることを知りました。一例を挙げると、ここに沢山の男の雇人を抱えた一人の本家の女主人があるとします。傭はれてゐる方の雇人側には、数多の選挙有権者がありますが、資本家たる主人は婦人であるが為めに、有権者の資格がないのであります。其処に大きな矛盾があるではありませんか。所謂婦人参政権論者の運動も、ここに根拠があるとしたら、決して左程突飛な行ひではなからうと思ひます。

 

 

婦人参政権論者」に「サフラジェット」というルビがついてます。Suffragetteはイギリスの女性政治社会連合 (Women’s Social and Political Union)のメンバーに使用された言葉で、まさにここにあるように、破壊行動までを辞さない女たちを指します。

suffrageは投票権、参政権で、婦人参政権運動家はサフラジスト(suffragist)と呼ばれ。その中の急進派がサフラジェットという関係。当初は揶揄的に使用されていた言葉ですが、本人たちがそれを肯定的に使用し、女性政治社会連合以外の人たちにも広がっていったらしい。

日本でもそうだったように、婦人参政権を支持するのは女だけでなく、男もいて、社会的に望ましい女のありようを内面化して腰が退けた女たちが多かったのですから、社会運動にはよくあるように、一部の跳ね上がりの男らが狼藉を働くこともあったのでしょう(以下に書いているように、これは間違いでした。女たちがこれをやってました)。

方法論はともかく、サフラジェットにも理解を示しているのですから、森律子は女学校の校長らよりはるかに革新的、確信的な婦人参政権支持派です。

※写真は米国のもの。ウッドロウ・ウィルソンは第28代米国大統領。このバナーによると婦人参政権支持だった模様。

 

 

next_vivanon

(残り 2657文字/全文: 5279文字)

ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。

ウェブマガジンのご案内

会員の方は、ログインしてください。

« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ