松沢呉一のビバノン・ライフ

森律子の「本当の新しい女」宣言—女言葉の一世紀 117-(松沢呉一) -3,558文字-

サフラジェットの活動をロンドンで見ていた森律子—女言葉の一世紀 115」の続きです。

 

 

 

 

女優は立派な仕事

 

vivanon_sentence森律子は渋谷栄一のスピーチに沿う形で女優業をとらえ続けたようです。立派な仕事なのであると。

 

 

我国に於きましても、昔から自活し得る婦人の職業としては一、二御座いましたが、近年に至って其の種類が夥しく増加致しました。花柳界は別として、教育家、官吏、医師、看護婦、事務員、髪結、電話交換手、売店の婦人、其他にも多数御座いませうが、現時の人々の対して、女優と云ふ二字は、舞台外に如何なる印象を与へてゐるで御座いませうか。前にも申上げた通り、私共が女優を志した当時は、世人は女優が紅、白粉に親しむ職業であるところから、婦人教育家、事務員等を視ると異なって、女優は思慮も根底もない、ただ虚栄に憧れた殆ど淪落の所謂新しい女とまで疑ひましたが、十年後の今日に至っても、未だ其の誤解を十分に解き得ぬやうに思はれますのは、誠に残念に存じます。然し時代の力は恐るべきもので、帝劇が此の新職業を開始しましてから、既に世上には三百人前後の女優を見るに至りました。此の数多き女優の中には、或は世人の疑はるるが如き人も有るかも知れませぬが、それは男女の別なく如何なる職業にも伴ふ現象ではないかと存じます。時としては国の法規にまで触れる人々もあるでは御座いませんか、けれども僅かに其の一端を以て、その職業の全体を評するのは酷であらうと思ひます。然し此の点が則ち婦人と俳優とを兼ねた所謂女優たる私共の殊に受け易い非難であると同時に、又前途ある趣味深い職業であると思ひますれば一生を斯道に捧げた私は、十年前の決心を断じて悔やみませぬのみか、此の職業に従事した事を喜んで居るので御座います。

 

 

女優に向けられる中傷はセックスワーカーに向けられる中傷と同じですな。ことに「其の一端を以て、その職業の全体を評する」の部分。これは差別する者たち一般に見られるやり口でもあります。全体を見ることなく、ある個人の振る舞いを属性や職業の否定に使う。AV問題でもその手法が使われています。

ほんの一部分の者を以って全部を批評し直ちに風俗問題を提唱して葬り去らうとするが如き」など、これと同様のことを本書では何度か書いています。よっぽど腹立たしかったのでありましょう。

当然、この本では芸術家としての女優の主張もしていますが、森律子はここに限らず、しばしば「女優といふ職業」という言い方をしています。職業としての自負、職業としての確立を意識せずに意識していたのだろうと思います。

これもセックスワーカー自身がセックスワーク、つまり仕事であることを自覚する用語を使用するのと同じです。それを認めない勢力はこの言葉さえも使わないし、使わせないように圧力をかけてきます。どんどん使おうぜ。

帝国劇場女優養成所一期生十五人のうち残ったのは六名とあります。前回の引用文では、自分以外に十三名とあるので、数字が合ってない。他の文章では十九人という数字が出ていて、うち二名は舞台に出る前に辞めたようで、残りは十七名。やっぱり数字が合ってません。

どれにしても十年で四割程度は残っているのですから、この時代の女の職業としては相当に残った率が高い。しかし、一生の仕事と誓った森律子としてはそれでも不満で、病気で辞めた人は別として、あとは「薄志弱行の非難を免れない」と断じております。厳しい。女優というそれまで蔑視されてきた存在を確立させるためにはこのくらいの厳しさが必要だったのでありますし、結婚すれば家に入るという当時の考え方に同志たちが従っていくことに苛立ちがあったのでしょう。

※森律子著『妾の自白』(大正七年)より

 

 

「本当の新しい女」宣言

 

vivanon_sentence前回、森律子著『妾の自白』(大正七年)から、婦人参政権についての記述を取り上げましたが、あの文章は「『新しい女』と私の弁解」と題された一文に記されているものです。

婦人参政権に賛成し、サフラジェットにさえも一定の共感をしていたため、「新しい女」にカウントされることがあった森律子は「新しい女」についてこう述べています。

 

 

私は『新しい女』と云へば、何でも新しがって、突飛な行ひをする女といふやうに世間から思はれてゐるのは、非常な誤解であらうと思ひます。そしてこの誤解を敢てさせるやうにした罪は誰にあるかと云ふに、それはやはり今日の『所謂新しい女』の罪であらうと思ひます。

 

 

つまり、所謂「新しい女」とされている女たちが誤解を招いているのであり、そのような存在ではなく、本当の「新しい女」を擁護し、自身、そちらであることをやんわりとアピールしています。

 

 

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